【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(17)】三沢(光晴)と最後に戦った2007年7月のGHCヘビー級王座戦(日本武道館)は負けちゃったね。〝最後っ屁〟を食らわそうと思ったんだけど、逆に食らわされちゃった。最後の技(ブレーンバスター式エメラルド・フロウジョン)は二度と食らいたくないと思ったよ。受け身取れないもんな。
08年にデビュー20周年を迎えた。振り返ると、三沢と一緒に全日本プロレスから出てきて必死だった。4~5年したら会社もいくらか良くなって、ボーナスも出せるようになってきてたところだった。小橋(建太)も07年12月に復帰したし、俺も「蘇ってやろう」と気持ちを新たにしたよ。
三沢が亡くなった時(※)は…アイツ、タイトルマッチをしていたんだ。試合を終えた俺が控室で休んでいた時、石森(太二)がやってきて「社長(三沢)が倒れて動かねえ」って言うんだ。リングまで見に行ったらレスラーが集まってた。今度は救急車がやってきて、浅子(覚)が人工呼吸をやってた。「大丈夫か、どうしちゃったんだよ」とか思ってるうちに俺たち選手は会場を後にしてホテルで待機することになった。
しばらくしたら「社長が死んだ」って知らせが入った。びっくりしちゃって、涙すら出なかったよ。前から首が悪いのはわかってたけど、本人じゃないからどれだけ悪いのかはわからなかった。けど、こんなあっけなく死んじゃうものなのかって。改めて怖くなったよ。でも翌日も試合があったから「これからどうするんだ」って、そっちの方に意識が持っていかれていた。
緊急役員会で「これからのシリーズをどうするか」が話し合われた。でも試合を休んじゃったら…三沢もそれを望んでいないんじゃないかと思ってね。もしこの時、俺が死んでても三沢はシリーズを続けてたんじゃないかって。話し合いの結果、シリーズを続けることに決まったんだ。ショックが大きくてファンの反応なんて考えてられなかった。試合は一生懸命やったけど、シリーズ中はずっと心が暗い気持ちでいっぱいだったな。さすがに立ち直るのには時間がかかったね。告別式ではいろいろな思い出がよみがえって、さすがに目頭が熱くなったよ。
三沢が亡くなって何日かしてから、三沢の奥さん(友美さん)からノアの次の社長の座を頼まれた。すぐには決められないから「ちょっと待ってくれ!」って1、2週間考えさせてもらった。でも、周りの人間もやってくれって言うから「まあ、しょうがないか」って腹を決めたんだ。
※ 09年6月広島大会のGHCタッグ選手権(王者組バイソン・スミス&齋藤彰俊VS三沢&潮崎豪)で、試合中の事故により三沢さんは死去した。享年46。














