【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(16)】2005年11月(日本武道館)に力皇猛のGHCヘビー級王座に挑戦することになった。お客さんの後押しもあっての挑戦だったんだけど「いい加減にしてくれよ、いい年なんだからよ」って気持ちだったね。04年9月に小橋(建太)のGHCヘビー級王者に挑戦して負けて以降、もう半分ベルトは諦めてた感じだよな。44歳にはきついものがあるぜ。
これが「最後(の王座戦)かな」って思いながらやったんじゃねーのかな。力皇も相撲上がりだし「そうはいくかい!」ってね。でも力皇の方が番付は上(※最高位は西前頭4枚目)だもんな。普段は俺が威張ってたけど、この時は挑戦者になっちゃった。それでも勝った時はうれしかったね。GHCは4度目の正直だったし「おじさんなのにまだまだやれるな」って思ってね。初防衛戦は森嶋(猛)だったけど、負けるわけにはいかんだろ、付け人だったんだから。俺に勝つことが恩返しにもなるんだろうけど、気張って、そうはさせなかったよ。
森嶋がここまで成長してきたのは内心うれしかったね。ここで俺は馬場さんにもらったガウンを着ていったんだよ。俺、ジャンパー派だからめったに着るもんじゃないんだけど、ここぞという試合の時だけ着ていったんだ。自分の付け人だった森嶋とタイトルマッチができたっていうのはそれだけうれしかったんだ。
歴代の付け人でいくと最初は大森隆男で真面目だったね。その次が森嶋。おとなしく真面目だったよ。でも18か19歳の時に森嶋が酒を勝手に飲んだのが(ジャイアント)馬場さんに見つかったことがあったんだ。俺が飲ませたわけじゃないのに「森嶋がいくつか分かってるのか!」って怒られて、おまけに高い飯までおごらされたな…。
その後が杉浦貴、こいつは“調子がいいやつ”だった。相撲取りの用語で言う「トンパチ」で真面目なんだけど、一緒に飲みに行っても俺を置いて女の子の方に行ったりしてさ。ふざけてるだろ(笑い)。
最後の付け人が平柳(玄藩)。こいつが一番俺にしかられていた(笑い)。俺と浅子(覚)と平柳で食事に行った時の話だ。平柳が酔いつぶれたから、俺と浅子でホテルまで肩貸して担いで帰ってきた。部屋番号も分からなかったから取りあえずロビーに寝かせて俺らは帰ったの。後で浅子と「大丈夫かな」って見に行ったらアイツ起きてケータイで女の子と電話してた。酔ったフリしてたんだよ。ふざけた野郎だったな…。
森嶋は俺が社長をしている15年末に契約満了の形でノアを退団することになった。精神的な面に問題があったとは思うけど、理由はよく分からない。なにかと目をかけていたから、惜しい人材だったよ。













