【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(18)】2009年6月広島大会で試合中の事故により三沢(光晴)が死去した。さすがに大きなショックを受けていた中、三沢の奥さんに頼まれて、同年7月にプロレスリング・ノアの代表取締役社長に就任することになった。本当は小橋(建太)がやっても良かったんだけど、会社の経営とかは好きじゃないみたいだった。トレーニングは大好きなのにな。

トレーニングに励む小橋建太(2007年)
トレーニングに励む小橋建太(2007年)

 社長就任はいい選択だったかって? 悪いに決まってるよ! やめときゃ良かったって思ってる(笑い)。でも丸藤(正道)とか杉浦(貴)とか若い衆が集まってきて「よろしくお願いします!」って言うんだよ。選手らにここまで言われたらしょうがねえなって思ってさ。冗談じゃねえよ、三沢の野郎…(笑い)。

 実際、社長になってみたら、変な言い方だけど、取り巻きの経営を握ってる人間に〝悪いヤツら〟がいっぱいいた。会社の金を使い込んでるのに、刑事事件にならないようにちゃんと借用書も書いてさ。「こんなことを三沢は許したのか」って聞いたら「はい」って。もう死んじゃってるから三沢には直接聞けない。一気に返すのもあれだから月々の返済で許してやったけど、そういうのが何人もいるもんだからもうダメだよ。経営状況もガタガタだった。

 名前は伏せるけど、経理部長がそんなことやってるんだもんな。そいつらも、お金を返さねえで、もうみんな死んじゃった。借金をしていたある社員が死んじゃった時は、その家族から「福島の山の中に土地があるんですけど」って言われた。そんなものもらったってしょうがないよ…。

 そういうことは三沢のころからやってたんじゃないかな。三沢も俺と似たようなもんで素人だから、気が付かないんだよ。経営がガタガタの時に受け継いだから、早い話が「貧乏くじを引かされた」ってわけだ。

 新日本プロレスも伸びてきていた時代だったし、会社を何とか良くするためにいろいろ考えたけどダメよ、追いつかねえよ。マッチメークに関しては俺はタッチしてなくて、ほとんど仲田龍(※)がやってたね。

 一番ひどい時なんか俺の給料が「0円」の時があったよ。社員やレスラーの給料を引き下げた時に、代表して俺は給料をもらわないことになった。母ちゃん(清美夫人)がお店(現在のステーキ居酒屋チャンプ)をやってたから、何とか飯ぐらいは食えたよ…。

 12年には秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の5人が年内いっぱいで退団することになった。詳しいことは知らないけど、仲田龍ともめたんじゃねえのかな。「辞めたい」って言ってるならしょうがないなよ。本当に負の風が吹いてたね。

 ※ノアのリングアナウンサー、14年に死去