【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(19)】ノアの社長になった2009年は48歳だったけど、まだ現役の選手だった。でも1試合目から3試合目ぐらいまでに出るようなプロレスしかしてなかったかな。兼業を続けて、しばらくたった11年の10月に、レギュラー出場をやめたんだ。

 早く引退したかったんだけど、他のヤツらが先に引退するからずっと延びてたんだ。力皇(猛)が辞めるって言ったり、小橋(建太)の引退興行(13年5月、日本武道館)があったりでさ。小橋が辞めた翌日に俺も引退を発表した。腰も悪くしちゃってたし、体がもう言うことを聞かなくなってきてたんだ。

 引退試合(田上&平柳玄藩&森嶋猛&杉浦貴VS天龍源一郎&藤波辰爾&井上雅央&志賀賢太郎、13年12月、有明コロシアム)では藤波さんと初めて戦った。ずっとやってみたかったレスラーの一人だ。業師だし、全日本プロレスやノアには、ああいうはつらつとしたカラーを持っている人はいなかったからね。リング上では元気なおっさんだったよね。

 引退した時、泣きはしなかったけど「俺もこれで終わりか」って何となく寂しかった。現役生活を振り返ると最初は結構良かったけど、試合も会社も最後の方はしょぼくなっちゃったね。

引退試合後に胴上げされる田上明(2013年)
引退試合後に胴上げされる田上明(2013年)

 レスラーを辞めたら社長業に専念するしかない。でも、経営とか向いてない。背広とネクタイはダメなんだ。やっぱりパンツじゃないと。あいさつ回りをしたり指示を出して、みんなをまとめたり、めんどくさいのはめんどくさかった。今思えばやっぱり頭が悪いというか、先のことを読む力に乏しかったよ。

 16年11月には株式会社プロレスリング・ノアの事業がエストビー株式会社に事業譲渡され、選手、スタッフは新会社に移った。社名をピーアールエヌに変えた旧会社には社長の俺だけが残って、17年2月には破産手続きを開始した。

 詳しい経緯は覚えてないけど、どうにもならなくなって弁護士の紹介で手を貸してくれる会社があったから、会社を譲って、俺は社長を辞めることになった形だ。全然いいことではなかったけど、会社を辞めて気は楽になったよね。負債は三沢の時からあったから、総額は4億円ぐらいになってたんじゃねえのかな。

 責任は俺が全部1人で背負うことになった。役員やってた丸藤(正道)とかの若手レスラーにもかぶせて振り分けても、アイツらが困る。そいつらにまで負債を残していくのは嫌だったんだ。借金残して死んでいった三沢が一番悪いんだけどさ(笑い)。まあ全部終わったことだから、恨み言なんてないけどね。

 しょうがないよ、これも人生。今は屋根がついてるところで雨がしのげている。まだ生きてるからいいんだよ(笑い)。