1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)は、日本の総合格闘技(MMA)の礎を築いた。象徴的な試合が、1976年6月26日に日本武道館で実現したボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦だ。「世紀の凡戦」との批判も浴びた当時、終生のライバルとされたジャイアント馬場さんはどう評価していたのか? 全日本プロレスの重鎮・渕正信(68)が秘話を明かす――。

 全日本プロレス一筋の渕は、1974年4月にデビュー。ともに72年に旗揚げした馬場さん率いる全日本と、猪木さんの新日本プロレスがシ烈な覇権争いをスタートさせた直後だ。

 血気盛んだった猪木さんは当時、幾度となく馬場さんを挑発し対戦を呼びかけていた。渕は「でも、馬場さんの口から猪木さんの悪口は一言も聞いたことがないんだよ。マスコミに対してはいろいろ言ったかもしれないけど、弟子や選手の前では一言も言わなかったね」と振り返る。

 76年に猪木さんは、アリとの異種格闘技戦を実現させた。試合は〝猪木アリ状態〟のまま3分15ラウンドを戦い抜いたが、試合後は酷評の嵐。だが、馬場さんの感想は真逆だったという。「周りは凡戦だとか言ってたけど、猪木さんは借金を背負ってでもやったわけだからね。馬場さんは試合内容のことは一切言わず、『やったことがすごいことなんだよ』って評価していた」と明かした。

世紀の凡戦と酷評された猪木とアリの異種格闘技戦
世紀の凡戦と酷評された猪木とアリの異種格闘技戦

 アリとの異種格闘技戦は、馬場さんにとっても決して〝人ごと〟ではなかったからだ。渕は後にジャンボ鶴田さんに聞いた話として、こう証言する。

「アリが東洋人とやりたいと初めて言った時、そこにいたのがアマレスの八田一朗さん(当時日本レスリング協会会長)。八田会長が最初に話を持っていったのが馬場さんらしいな。八田さんの頭の中にはジャンボ鶴田さんの名前があったそうなんだよ。もし、馬場さんがオッケーすれば『アリ対ジャンボ鶴田』があったかもしれないな。ただ、当時の馬場さんはスケジュールとかいろいろあったから」

 何ごとにも慎重に物事を進める馬場さんと、常にチャレンジを続けた猪木さんの性格を示す象徴的なエピソードだ。「馬場さんと猪木さんの2人の関係は、もっと親密だったんじゃないかなって俺は思うよ。(日本プロレスで)同じ釜の飯を長く食っていたって話じゃないかな」というように、たもとを分かった後も馬場さんは猪木さんの動向は常に気にかけていたようだ。

 渕には、今でも忘れられない馬場さんの姿がある。96年のアトランタ五輪の開会式。最終点火者として登場したアリは、パーキンソン病の影響で震えが止まらない手で聖火を点灯した。その場面を見た馬場さんは「すごいな!」と賛辞を送ったという。

 生前の猪木さんは難病「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」との闘いをテレビやユーチューブで公開した。「猪木さんも弱った部分をさらけ出した面があるじゃない。だから、馬場さんは今ごろ天国で『寛ちゃん、すごいな』って言っているんじゃないかな。強い猪木という姿だけじゃなく、弱っていく姿を見せたところに、逆に猪木さんの強さを感じるよな」。渕は静かに哀悼の意を示した。