【昭和~平成スター列伝】歌姫テイラー・スウィフトとNFLのスーパースター、トラヴィス・ケルシーは、ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデン(MS・G)を3日間、貸し切りにした豪華な結婚式を7月3日(日本時間4日)に予定しており、その総額は数百万ドル(数億円)に上るという。

 MS・Gは言うまでもなく、多くの名勝負を生んだ格闘技の殿堂。日本人トップレスラーも何度か出場しており、昭和の時代にはそのたびに大きなニュースとなった。

 日本人で初めてMS・Gのメインに立つ快挙を達成したのは〝世界の16文〟ことジャイアント馬場だった。馬場は2度目の海外修行に出ていた1964年2月17日(日本時間18日)に当時のWWWF(現WWE)世界ヘビー級王者の〝人間発電所〟ことブルーノ・サンマルチノに初挑戦。1万4700人の大観衆を前に激闘を展開した。本紙は1面で詳細を報じている。

サンマルチノのカナディアン・バックブリーカーが馬場に決まる
サンマルチノのカナディアン・バックブリーカーが馬場に決まる

「試合は馬場の突進から始まった。ヤツ手のような巨大な手をふるってサンマルチノに痛烈な張り手を叩きつけた。サンマルチノは馬場の209センチの長身にガップリ組みつくと怪力のベアハッグ(サバ折り)で絞り上げて強引にフォールを狙う。馬場はヘッドロックから十八番ココナッツクラッシュの強襲。しかし王者には通じない。ならばと馬場は王者の足を狙った。しかしここに一瞬のスキが生じる。リストロックでじわじわスタミナを奪うと、馬場の巨体をグイッとかつぎ上げた。〝人間発電所〟必殺のカナディアン・バックブリーカーがついに爆発。サンマルチノの肩の上で揺れる馬場は13分38秒、たまらずギブアップ。王者は馬場の巨体を丸太のようにマットに放り出した」(抜粋)

 2本目が始まると馬場は逆転を狙って攻め込んだが、サンマルチノに必殺のカナディアン・バックブリーカーを決められる。ここで時計は午後11時となる。「ニューヨーク市条例」(午後11時以降の興行は認可せず)が適用されて、レフェリーが試合を止めた。つまり2本目は時間切れ引き分け。試合は0―1で馬場の敗退となった。馬場と師匠のフレッド・アトキンスは猛抗議したが受け入れられず、裁定は覆らなかった。

 しかし、馬場はニューヨークのファンに鮮烈な印象を残し、サンマルチノとの友情も深めた。67年に日本プロレスに初来日を果たしているが、馬場にキャデラックを贈った話は有名である。全日本プロレス旗揚げ後は常連となって多くの名勝負を展開した。

 馬場は同年2月だけでもルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座(8日)、フレッド・ブラッシーのWWA世界ヘビー級王座(28日)、そしてサンマルチノのWWWF王座(17日)と、当時「3大王座」と呼ばれたベルトに挑戦という前人未到の偉業を達成している。永遠に歴史に残る〝世界の16文〟の金字塔である。

(敬称略)