【プロレス蔵出し写真館】〝グレート・テキサン〟ドリー・ファンク・ジュニアさんが8月4日(日本時間5日)に死去した(享年85)。プロレスOB会「カリフラワー・アレイ・クラブ」が発表した。

 地元紙の取材を受けたドリーさんの妻マーティ夫人は、ホスピスケアを受けている最中に帰らぬ人となったと話した。

 ドリーさんは今から57年前の1969年(昭和44年)2月11日、米フロリダ州タンパで実力者の〝荒法師〟ジン・キニスキーを破り、28歳で当時、プロレス界最高峰のNWA世界ヘビー級王座を奪取した。

 その年の11月26日、オリジナルホールド、スピニングトーホールドを引っさげ初来日したドリーさんは見かけとは裏腹にジャイアント馬場、アントニオ猪木と一歩も引かずやり合った。12月2日、大阪府立体育会館で行われた猪木との60分ノーフォール時間切れ引き分けの一戦は、後年、猪木自身が「オレのベストバウト」と語り、名勝負との誉れが高い。

 さて、「スタミナなら誰にも負けない自信があったが、今日はドリーの前にカブトを脱ぐしかないな」。試合後、馬場がそう言って舌を巻き、「何!? 馬場が倒れた? ハートアタックになって倒れたのか?」。ドリーさんが肝を冷やす試合があった。

 その試合は再来日したドリーさんが、馬場のインターナショナル選手権に挑戦した一戦だ。

 万博で日本中が沸き返る昭和45年。7月30日の大阪府立体育会館がその舞台となった。この日の府立は、午後4時ごろに長蛇の列ができ、久々に超満員8500人の観衆で埋まった。冷房設備のなかった館内は人いきれとテレビ中継のライトで、43度近い暑さとなった。入場者全員にウチワが配られたものの効果はなく、リングサイドには上半身裸になる観客まで現れるほど。リング上の温度はそれ以上だったことは間違いない。

 試合は60分3本勝負で行われ、1本目はドリーさんが〝必殺技〟への布石を打つ。馬場の2発目のタックルをスライディングレッグシザースで切り返し、レッグロックからトーホールド。執拗な足殺しに終始する。最後は馬場の巨体をダブルアームスープレックスで叩きつけ、17分20秒で先取した。

 2本目、テキサスブルドーザーで揺さぶる馬場をバックドロップで投げるドリーさん。足がロープにかかり命拾いした馬場は、〝必殺〟32文ロケット砲をさく裂させ、28分20秒、1-1のタイに持ち込んだ。

 決勝の3本目は死力を振り絞り32文とバックドロップの応酬だ。両者はもつれ合ったまま場外に転落し、馬場の水平チョップにドリーさんはエルボースマッシュで応戦する。果てしなく続く場外戦は、ついに6分55秒、両者リングアウトの裁定が下り引き分けとなった。

 リングに戻った馬場は人目をはばからずダウンした(写真)。

 ドリーさんは少し息が切れているだけで控室でカメラマンにポーズを取っていたが、馬場はリング上でベルトを手渡されても立っているのがやっと。控室へ戻る途中、機械室で伸びてしまった。

 付け人の轡田友継(後のサムソン・クツワダ)に抱えられるように控室に戻ったが、記者団に口を開いたのは20分過ぎのこと。そして馬場はドリーさんへの畏敬の念を語ったのだった。

控室に戻った馬場は扇風機で涼んだ(1970年7月、大阪)
控室に戻った馬場は扇風機で涼んだ(1970年7月、大阪)

 この試合をテレビで見ていたという渕正信は、プロレスラーになってから本人から話を聞いたと教えてくれた。

渕  馬場さん、ドリー揃って「一番ハードな試合だった」って言ってた。ドリーが「ハートアタック(心臓発作)になるかと思った」って言ったら、馬場さんは「オレもそうだった。〝お母さん助けて〟って思った」って。

 馬場の脳裏に母・ミツさんが浮かんだという(※当時存命)。

渕  ドリーは「観客も汗みどろで、こっちも汗が乾き切ってた。試合中、レフェリーの沖識名に『大丈夫か? オレたちがこんなにキツいんだから、年寄り(※66)のあなたはもっと大変じゃないか?』」って聞いたらしい。「あのときはオレも心臓が苦しかったし、馬場は試合後にテレビのインタビューを受けて、何とか控室へ帰ったんだなと思ってた。そしたら、後から馬場が倒れたって聞いてビックリした。これは大変なことになった」と思ったって。

馬場(右)が1-1のタイに持ち込んだ32文ロケット砲(1970年7月、大阪)
馬場(右)が1-1のタイに持ち込んだ32文ロケット砲(1970年7月、大阪)

 ドリーさんは73年5月24日、ミズーリ州カンザスシティーでハーリー・レイスに王座を明け渡すまで、4年3か月の長期政権を築いた。

 渕は「ドリーは馬場さんとやった3日後(8月2日)に猪木さんと60分(時間切れ)試合やってるんだよな」。そう感心したようにつぶやいた。

 馬場が後年「自分から場外に逃げて引き分けを狙った」と告白するほど、ドリーさんは無尽蔵のスタミナを誇っていた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る