【プロレス蔵出し写真館】「オレ個人から言わせりゃ、あんなもんプロレスじゃない!」。メインを務め、試合を終えた長州力が、痛烈にインディーを批判した。
この長州発言は、今から27年前の1996年(平成8年)6月30日、横浜アリーナに超満員1万6000人の大観衆を集めて開催された「メモリアル力道山」で飛び出した。
この大会は力道山OB会が主催し、新日本プロレスが牽引して実現。全日本プロレス、FMW、各インディー団体、女子プロなど男女合わせて16団体が参加した日本プロレス史上最大の交流戦だった。
長州の発言を誘発したのは、第2試合で行われた「IWA格闘志塾」提供の鶴見五郎VSザ・マミー戦。
鶴見といえば、ジャイアント馬場も認めた試合巧者。一方のマミーは94年2月23日に、レスリング・ユニオンの後楽園ホール大会で半世紀ぶりによみがえったエジプトのミイラ男。全身包帯風の衣装とマスクの怪奇派だ。横浜の試合では動くたび、そして攻撃を受けると全身から〝謎〟の白い粉が舞い上がった。
マミーは場外で鶴見にチェーンでラリアート。リングに戻るとボディースラムを見舞い、セカンドロープからダイビングヘッドバットを敢行した。
しかし、距離が足りずなんと頭からマットに突っ込み、失神してしまった。鶴見は動けなくなったマミーの足をSTF気味に決め7分9秒、レッグロックで勝利した。マミーがリング上でドクターのチェックを受けていると、鶴見はリング下に降りて異例のマイクアピールを行った。
「俺はもう1回こいつとやる! こんな力じゃないこいつは!」とマミーを擁護(写真)。マミーは担架で運ばれて行き、救急車で病院に搬送された。
さて、失神事件を起こしたマミーの正体は、アポロ菅原だといわれる。菅原に話を聞いた。
――マミーのことで話が聞きたい
菅原 マミー? マミーのベストバウトは流山でやったポイズン澤田とのマムシ・デスマッチかな(94年12月25日、流山市総合体育館でのノーロープ有刺鉄線ランバージャック猛毒マムシ・デスマッチ)。日刊スポーツの川副(宏芳)記者が大きく紙面を割いてくれましたよ。大位山さん(元国際プロレス)が出店で出したうどん屋で、1杯300円のうどんが500杯売れたって喜んでましたね。
――メモリアル力道山での話なんですが
菅原 あぁ、あの試合…
――マミーは菅原さんだと言われてますが
菅原 そうですよ。もう(引退したんで)、聞かれたファンにもそう答えてます。あの試合は入場するときからヤバいと思いました。照明が暗くて、リングの中だけ明るかった。マスクで周囲が見えず、足元もおぼつかないし、(サポートしてくれる)セコンドもいなかったから、(注意して)すり足で動いてましたよ。
――ダイビングヘッドバットを自爆しましたが
菅原 暗かったから、だいたいこの辺りだろうと(思って)飛んだんです。
――失神したんですよね
菅原 鶴見さんに、「鶴見さん、ダメだ(動けない)」って(言いました)。
――担架で運ばれましたが
菅原 控室で(アントニオ)猪木さんが来てくれて…
――猪木さんが?
菅原 周り(の選手)は皆、どうしていいかわからず遠巻きに眺めてるだけでした。猪木さんが(新日本の若手に)「マスク外せ!」って言って、足や手を触ってくれて「大丈夫か?」と聞いてくれました。オレは「猪木さん、すいません」と言いましたよ。猪木さんには感謝しかないですね。
――そんなやり取りがあったとは…
菅原 マミーは昼間(の試合)だけやってたから、夜の照明は(周りが)見づらかったね。マミーは大会場には向いてないです。小さい怪しい雰囲気(の会場)が向いてますね。
――最後に、あの白い粉は
菅原 パウダーですよ。ヤバい〝白い粉〟じゃないですよ。
菅原はそう言って笑った。
ところで、長州のインディー批判に嚙みついたのは大日本プロレスのグレート小鹿と東京プロレスの石川敬士。それに対し「小鹿もボケたんじゃないのか? 石川も尻馬に乗ってりゃしょうがないぞ。釣る獲物を間違えたな」と長州は吐き捨てた。
長州はIWAジャパンのターザン後藤を釣り上げたかったようだが、後藤は食いつかなかった。
その後、小鹿率いる大日本勢は9月16日、新日プロの愛知県体育館に現われ宣戦布告。翌97年1月4日、東京ドーム大会で新日本VS大日本の全面戦争が行われることとなる。
マミー失神事件と長州インディー批判は、今でも語り草の出来事。今回、菅原の告白で、思いもよらず猪木のやさしさが知れたのは新たな発見だった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














