【プロレス蔵出し写真館】6月25日、新潟プロレスに大仁田厚が参戦。試合後、同団体スーパーバイザーのグレート小鹿に最高齢での電流爆破マッチをやろうと挑発した。
81歳の小鹿が電流爆破マッチで被爆して…。老人虐待と非難を浴びるだけでは済まない事態にならないことを願うばかりだ。
かつて、東スポに「老人虐待」、「60歳老人がFMW入りを直訴」と見出しを付けられたのはミスター珍だった。
ミスター珍は、55年(昭和30年)にプロ柔道から全日本プロレス協会を経て、力道山の日本プロレスへ入団。コミカルなファイトが売りで、若手時代のジャイアント馬場、アントニオ猪木ともシングルで対戦したこともある。61年1月7日の愛知・金山大会では、馬場の蹴りを食らい昏倒して緊急入院。生死をさまよったというエピソードはオールドファンの間では広く知られている。
今から30年前の93年(平成5年)5月、FMWで猛威を振るうカナダ軍の周囲をウロウロする〝謎の〟覆面マネジャーがいた。6月20日の東京・小平大会で大仁田がマスクを破り、正体は珍だったと観客に晒した(珍と認識した観客はいたのだろうか…)。
FMWの移動バスの前に連行された珍は、土下座して「どうしてもFMWに入りたくてやったことなんです。大仁田さん、無理を承知でお願いします。もうひと花咲かせてください。FMWしかないんです」と涙ながらに訴えた。
翌21日、岐阜・高山大会に強引に帯同してきた珍は、若手や女子レスラーに混じり場内整理などをこなした。
ことが動いたのは28日の後楽園大会。珍は場外で、乱入したミスター・ポーゴのDDTを食らい、失神状態で控室に担ぎ込まれた。大仁田は「オレのために巻き添えを食って…。そこまでしてリングに上がりたいのか」と態度を軟化させた。
そして、ついに大仁田がGOサインを出し、30日、珍の再デビューが発表された。「大仁田さんに迷惑がかからんように、自分の責任で〝誓約書〟を提出して試合に臨みます。リングで死ねれば本望。今からワクワクしてます」。珍は喜びを語った。
というのも、珍は腎臓障害で週に2度の人工透析を行っている1級身体障がい者だった。
珍は、翌月の7月2日に全日本プロレスの後楽園大会を訪れ、馬場に復帰を報告。馬場からは「そうか、わかった」と激励されたという。
迎えた再デビューの日、16日の後楽園ホールに勇壮な軍歌が鳴り響いた。「♪勝ってくるぞと勇ましく~」。入場して来た珍は、対戦相手の中川浩二に平成マットから消え去った古典的反則を繰り出す。ゲタ攻撃、パンツ脱がし、髪の毛むしり、ノドつかみ等々。そして左手に巻いたゴムひもを中川の顔に当てる得意の〝ゴムパッチン攻撃〟。8分20秒、逆片エビ固めでギブアップした珍は「くたびれたけど人生最高の満足感。いつ死んでもいいです」と控室前で大仁田と涙の握手を交わした。
81年8月、国際プロレスが崩壊して以来、国内で約12年ぶり、60歳での現役復帰となった珍は、日本マット史上最年長の現役レスラーとなったのだった。
ところで、7月24日、福岡・北九州ベイスクエアでFMWのビッグマッチが行われた。この日も、小倉の病院で人工透析を済ませてきたばかりの珍は、第1試合で田中正人(後の将斗)と対戦。
相手を務めた田中は、09年に東スポの連載企画「思い出したくない 恥バウト」でこの日のことを振り返っている。「(ターザン)後藤さんから『組まれた試合に文句は言うなよ』と教えられてはいたけれど、ボクは珍さんの全盛期を知らないし、内心では『何で60歳のジイさんとやらなきゃいけないんだよ』というのはあった。大観衆の前で笑われるし…」。デビュー2戦目で初勝利を挙げた田中だが、うれしさはなかったようだ。
それでも「勉強になったことも多かった。今思えば珍さんが会場を笑わせていたのであって、僕が笑われていたわけじゃないんだよね。大きな違いだけれど、当時の僕はまだ若くて、理解できてなかった」と吐露した。
珍は94年7月までFMWでファイト。95年6月26日に慢性腎不全で死去した。
さて、珍が現役復帰した当時と異なり、現在はいまだ現役と主張している若松市政が小鹿と同じ81歳(若松が数か月年上)で最年長レスラーだ。あとに続くのは69歳の藤波辰爾、67歳・高杉正彦、そして大仁田が65歳。
81歳の記録を更新するのは藤波と思われるが、果たして…。高齢化社会の現在の日本で、珍の復帰年齢の60歳は、まだまだヒヨッコだろう(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














