【プロレス蔵出し写真館】6月23日は、2017年に亡くなったミスター・ポーゴの命日だった。6月18日には群馬県伊勢崎市で「伊勢崎プロレス Mr.ポーゴ追悼7回忌興行」が行われ、〝盟友〟大仁田厚も参戦した。
〝極悪大王〟と呼ばれヒールを演じていたポーゴだが、語り口がソフトでリング上とのギャップに驚かされた記憶がある。
さて、追悼興行が行われた伊勢崎市はポーゴの生まれ故郷。かつてポーゴは、この思い入れの強い伊勢崎市の「暗黒街化計画」を目論んだことがあった。
今から21年前の02年(平成14年)、ポーゴは「オレ様の出身地である伊勢崎市を支配する。世界一の暗黒街に育て上げ、無法地帯にしてやる。悪者が全てを支配し、プロレスを週に1回はやる。客には〝真の恐怖〟を味わってもらう。たとえ死んでも罪にはならない。そんな街をつくりたい」と野望を明かした。
そのための第1弾は4月26日、母校の県立伊勢崎工業高校で行った後輩たちへの洗脳だ(いわゆるトークショー)。意外なことに入場時にはポーゴコールまで巻き起こり、1200人が集まる大盛況ぶりだった。これに気をよくしたポーゴは第2弾として伊勢崎市役所に乗り込み、矢内一雄(いちお)市長の襲撃を計画。
30日、予告通り市役所に乗り込んだポーゴは、鎖鎌を手に矢内市長に迫った。「伊勢崎を暗黒街にしろ!」(写真)。
ところが、市長は体を張って抵抗した。「お前なんかに伊勢崎は渡さん。伊勢崎は俺が守る」まるで大仁田の決めゼリフのごとくキッパリ拒否。なんとも〝ノリがいい〟市長にポーゴも撤退するしかなかった。
さて、懲りないポーゴは「警察をぶっ潰して一気に伊勢崎を犯罪天国に変えてやる」と豪語。8月23日、WWSの伊勢崎ロイヤルホテル2F「孔雀の間」大会でそのチャンスが訪れた。ザ・ウルフと対戦したポーゴは、ホテルの2階から駐車場までもつれ込む場外乱闘を展開。警察官2名を乗せたパトカー2台が駆けつける騒動に発展した。
これ幸いとポーゴはパトカーに向けビッグファイヤーを噴射した。どこか遠慮がちに遠目からなのはご愛敬。すでにポーゴの計画が警察内部まで浸透しているのか、警察官たちは何事もなかったかのように引き揚げて行った。
ところで、翌03年4月18日、なにを思ったかポーゴは伊勢崎市議選に立候補する。これも暗黒街化計画の一環か…と思いきや、ポスターの標語は「伊勢崎をスポーツの町に!!」。20日の出陣式でも、「スポーツを通じて青少年の健全育成に尽力していく」と、およそ似つかわしくない公約を掲げた。
「政治活動は亡き父の遺志」とポーゴは告白。というのも、父・関川勝三郎氏は群馬県県会議員に6期当選し、県会議長も務め、勲章も受勲している群馬県政治界のドンだった。
ポーゴは、「伊勢崎市には政治家の銅像は2つしかない。一つは伊勢崎市をつくった人。そしてもう一つは俺の親父だ。伊勢崎体育館の横に建ってる」と教えてくれ、「それまでは御曹司と呼ばれていたのに、親父が亡くなると、『ウドの大木』と呼ばれるようになった。そして周りから人が一瞬にして去って行った」と恨み節も。市議選では「浮動票を狙う」と戦略を明かした。
果たして、27日に即日開票された当落は…。ポーゴは1059票(投票率62・29%、総投票数6万134票)を獲得したものの29人立候補した中で29位と最下位で落選した(定数は26人)。前年に画策した「暗黒街化計画」が市民に嫌悪されたのだろうか? そもそもこの計画自体、知っている市民がいたのかどうかも不明だが…。
時は流れ09年2月19日、伊勢崎市の「味処ぽーごちゃん」でビッグファイヤーを披露するポーゴの姿があった。この店は05年の焼き鳥屋を経て07年に開店したポーゴの店。「鶏つくねちゃんこ」「激辛の火鍋ちゃんこ」が自慢メニューだ。
東スポの「プロレスちゃんこ鍋」特集で取材させてもらいターザン後藤、維新力、菅原拓也の店とともに3月4日付紙面で掲載された。ところが取材後、ポーゴは店と選手の両立は困難、プロレス活動に力を入れると決め、2月いっぱいで店を休業してしまう。掲載された日に店が休業中という、なんとも間が悪い取材となってしまった。
まさに、気の向くまま大仁田FMWからW★INGへ移籍、そしてFMWへのUターン。さらにフリーとして様々な団体を渡り歩いたポーゴの面目躍如ともいえる行動だった。
思い返すと91年5月、ポーゴが大仁田に放ったビッグファイヤーは衝撃的な炎の大きさだった。火炎噴射=ポーゴとして、いつまでも記憶に残るレスラーとなった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














