【プロレス蔵出し写真館】30年前の今日、1992年(平成4年)12月25日。年が明けた1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会で復活戦を行う〝破壊王〟橋本真也が、ろうそくの炎に蹴りを入れていた(写真)。

 ろうそくを頭に乗せているのは付け人の大谷晋二郎。

 橋本は7日に右ヒザ半月板を手術。復活に賭け、10日にアントニオ猪木を訪ねタッグ結成を直訴した。翌11日から道場で練習を再開していて、この日はドーム大会へ向けた公開練習。10キロの重りのレッグカールに挑むもビクともせず苦悶の表情を見せ、ヒザがまだ万全でないことがうかがえた。ろうそくの炎を風圧で消すというパフォーマンスも、当然スピードのない蹴りでは消えることはなかった。

 橋本らしいのは、撮影が終わると東スポのK記者をリングに上げ四つん這いにさせると、上着をめくり背中を露出して、上から火のついたろうそくを垂らし始めた。マニアックなプレーを連想させる行為に楽しげな橋本だったが、今なら完全にアウトだろう。

記者の背中にろうを垂らす橋本(92年12月、新日プロ道場)
記者の背中にろうを垂らす橋本(92年12月、新日プロ道場)

 K記者は入社1年目。当時を振り返り、「あのころは3日ボーズ(東スポの連載企画『ザ・3日ボーズ』。様々な分野の職業を身をもって3日間体験する)とか、けっこう大変な仕事があったので、このろうそくの記憶はないですね」。プロレスの付け人体験で、大仁田厚のビンタも食らったK記者。ろうを垂らされるくらいは、まだまだ序の口だったようだ。

 橋本のこの手のイタズラは歴代付け人、マスコミ関係者も経験していて、近年はユーチューブや書籍等で当時の出来事が明かされるが、橋本はアフターケアもしていたようで不思議と恨まれてはいない。

 橋本の天然ともいえるキャラは、どこか憎めないものがあった。

 さて、翌93年の復活戦は猪木が足首の負傷で欠場となり、橋本はマサ斎藤とタッグを組みスコット・ノートン&ダスティ・ローデスJr.組と対戦。橋本はキック3連発から、猪木譲りの延髄斬りでローデスJr.を仕留め、復活戦を勝利で飾った。

 とはいえ闘魂三銃士の中で武藤敬司、蝶野正洋の後塵を拝していた橋本が〝真の復活〟を果たすのはこの後のこと。

 新日プロがWARと開戦すると、この年(93年)の2月5日、札幌大会で天龍とタッグで初遭遇。この後、橋本は新日プロのシリーズを休んでWARの青森大会(9日)に単身乗り込み無人のリングで天龍に挑戦表明した。翌10日の秋田では控室で天龍に直談判までしている。

 念願のシングル初対決が実現したのは6月17日、WARの日本武道館大会。天龍のパワーボムに屈したものの、天龍はマイクで「橋本、今日は忘れないよ」と叫んだ。控室に戻った天龍は「やっぱり橋本は破壊王だった」とグッタリ。囲み取材が始まったのは5分もたってからだった。

 2度目の対決は新日プロの両国7連戦の最終日(8月8日)。天龍の計4発のパワーボムで惜敗した。

 そして、3度目の対決は翌94年2月17日、両国国技館。天龍は1月4日の東京ドームで猪木にピンフォール勝ちを収めジャイアント馬場、猪木の両巨頭からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとなっていた。一方の橋本は前年の9月20日、名古屋大会でグレート・ムタを破りIWGPヘビー級王座を初戴冠。

 ノンタイトル戦で行われたものの、事実上の頂上決戦。試合は激しいものとなり、天龍がコーナーに押し込んだ橋本のノド元に逆水平チョップ。橋本もヘッドバット5連発で反撃。ミドルキックからケサ斬りチョップ。鼻血を噴き出した橋本がキックを乱射。天龍は浴びせ蹴りからラリアート。そして橋本がDDTからミドルキック。ロープに走ってジャンピングDDT。15分4秒、片エビ固めで天龍にピンフォール勝ち。

橋本が天龍にジャンピングDDT。セコンドも身を乗り出し見守った(94年2月、両国)
橋本が天龍にジャンピングDDT。セコンドも身を乗り出し見守った(94年2月、両国)

 初勝利をあげた橋本に館内は地鳴りがするほどの大歓声。観客は総立ちだ。みんな橋本が勝つことを願っていた。橋本は名実とも新日本のエースとなり、完全復活を果たした(敬称略)。

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