プロレス界のレジェンドで〝テキサスの若馬〟ことドリー・ファンク・ジュニアさんが死去した。85歳だった。WWEが4日(日本時間5日)に発表した。ドリーさんは突貫ファイトの弟テリー・ファンクさんと対照的に、希代のテクニシャンとして知られる。必殺技のスピングトゥホールドにダブルアームスープレックス、独特のフォームで打つエルボースマッシュと後進にも受け継がれた。

 特に高く評価していたのは日本プロレス時代に激闘を繰り広げた故アントニオ猪木さんで、1969年12月2日に日プロ・大阪府立体育会館大会での一騎打ちは生涯の「ベストバウト」筆頭に挙げている。

 当時26歳の猪木さんはドリーさんの持っていた最高峰のNWA世界ヘビー級王座に挑戦。60分3本勝負だったが、0―0のままフルタイムを戦い抜き引き分けた。晩年の闘病中に本紙のインタビューを受けた猪木さんは「技(の数)はそんなになかったと思うけど。見る方の視点は分からないけど、お互いに力を出し切った」と語り、当時の最強王者と引き分けたことが「すごい自信になった」と語っていた。

 猪木さんの公式Xも5日に「生前のアントニオ猪木も1969年12月のNWA世界ヘビー級チャンピオンベルトをかけた闘いは、自身のベストバウトにあげる程でした」などと投稿し、ドリーさんを追悼した。

 一方、真面目でクールな印象のあるドリーさんだが、プライベートでは超マイペースだったことでも有名な話。プロレス評論家の門馬忠雄氏によると、地元テキサス州のアマリロ空港にはテリーさんとともに搭乗時刻ぎりぎりに現れ、空港側を困らせていたという。

 また猪木さんが立ち上げた団体「UFO」では、1999年3月のダン・スバーンvs小川直也のNWA世界戦にレフェリーとして登場。試合中にサッカーの主審のように笛を「ピーッ!ピーッ!」と吹き、猪木さんを苦笑いさせたこともあった。