1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の追悼連載「猪木自身が語った名勝負10番」第2回。生前の猪木さんは、自身がベストバウトに挙げるドリー・ファンク・ジュニア戦について語っていた。
【猪木自身が語った名勝負10番(2)】若手時代のアントニオ猪木は、ドリー・ファンク・ジュニアと数々の名勝負を繰り広げた。
自らベストバウト筆頭に挙げる試合が、日本プロレス時代の1969年12月2日に大阪府立体育会館でドリーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した一戦だ。
60分3本勝負で対戦したが、互いに1本も許さず0―0で時間切れ引き分け。実はこの前日の試合で左手の中指を骨折していたが「普通なら挑戦権をケガのない選手に譲るところだが『(ジャイアント)馬場さんにチャンスは渡さない』と意地になって試合に出た」という。
当時のNWA王座はプロレス界で世界最高峰といわれたタイトル。いわば世界最強の王者に対し、26歳の時に手負いの状態で引き分けたことが「すごい自信につながった」と振り返る。
翌70年8月2日の福岡スポーツセンター大会でもドリーに挑戦。この時は30分過ぎに1本先取されたが直後に原爆固めで取り返し、1―1の時間切れ引き分けだった。
白熱の攻防が多かったドリーとの試合について「若かったから。スタミナがあったからね、このころは」と苦笑いする。その上で「技(の数)はそんなになかったと思うけど。見る方の視点は分からないけど、お互いに力を出し切ったというかね」と手の合う相手だったと話していた。
▽NWA世界ヘビー級選手権(60分3本勝負)
〈王者〉
△ドリー・ファンク・ジュニア
時間切れ引き分け
〈挑戦者〉
アントニオ猪木△
(1969年12月2日 日本プロレス・大阪府立体育会館)












