1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)は、多くの人に多大な影響を与えてきた。それは猪木さんを取材するメディア側も一緒。1970年代から燃える闘魂を取材し続けた元プロレス担当記者が、当時を振り返る。
【さらば燃える闘魂10】
「酒」から始めよう。今から47年前、記者が新弟子時代、取材出張はベテランのカメラマンと組まされた。もう鬼籍に入られたS、Yカメラマンだ。S氏は猪木が17歳でブラジルから右も左も分からぬ日本に力道山に連れて来られた時に親身になって面倒を見て、Y氏はロスの特派員時代に修行にやって来た猪木のマネジャー代わりとなり、ギャラの交渉から試合場までの運転手も務めた。
S、Yカメラマンは猪木と酒を飲むと「猪木選手」に始まり「そっち」となり、最後には「カンジ!」と呼び捨てになる。それでも猪木は顔色一つ変えずに「フフフッ…」と笑顔を絶やさぬ。そして翌早朝、飛び起きて酒を抜くためにひたすら走り、汗を流す。記者はいろんなレスラーを見てきたが、猪木と故ジャンボ鶴田ほど走り込んだ選手はいない。
その時、うわさになっていたバスタブ・ブランデー事件を猪木に聞いた。「ホテルのバスタブに高級ブランデーを流し込み、山ほどの氷を入れ、水で割って飲んだのは本当か」の問いに、猪木は「フフフッ…」と笑った。それ以降、本紙のプロレス担当班は忘年会でアイスペールに高級ウイスキー1万円分以上を流し込み、回し飲みをするようになったのだ。
猪木で忘れてはならないのが「アントン・ハイセル」。世界のエネルギー革命と、食糧危機の解消を同時に成し遂げる事業だ。その時、猪木は各方面に頭を下げて金策に走り回った。そんな猪木を見て、ジャイアント馬場は「オレは人に頭を下げて金を借りたことはない。かあちゃん(元子夫人)の友達が銀行関係のえらい人になっていたから、工面してもらったよ」とも言っていた。
水と油の猪木、馬場だが、唯一意見の一致をみた。荒鷲・坂口征二のコーヒーの飲み方だ。糖尿病を持つ猪木、馬場はダイエットシュガーを使う。坂口はガバガバと砂糖をコーヒーに注ぎ込み、飲み干す。「いいよな~、坂口は」。猪木、馬場の偽らざる気持ちだ。
毎週土曜朝にアントン・ハイセルの会議のため、猪木は金曜の夜行寝台車に乗った。記者も同乗し、朝まで猪木の夢を聞いた。「20億、30億なんて右から左ですね。そんなに金を借りてどうするんですか?」の問いに、猪木は「フフフッ…」と笑い「まずは東スポを買収したいね」と単刀直入に答えた。もしあの事業が成功していたら、猪木は本当に本紙を買収していたのだろうか――。
私事で恐縮だが、記者の娘がハワイで友達7、8人と朝食を取っていた時に猪木と偶然に出会った。面識もない娘はツカツカと猪木に近寄って「東スポの川野辺の娘です」とあいさつをした。朝食を終え、気づくと娘のテーブルから伝票が消えていた。ホテルのボーイから「あのビッグマンがチップまで払っていったよ」と教えられたという。
酒の飲み方、お金の借り方、使い方、そしてプロレスに向き合う姿を身をもって教えてくれた猪木。三途の川で力道山、馬場らと何を語り合っているのだろうか。あの世とやらへ、記者が行く日も近い。記者のプロレス取材、最後の仕事にしたい。(元東スポプロレス担当・川野辺修)











