1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)は、リング上で数々の名勝負を残した。不世出の天才レスラーは生前、本紙の取材に応じ自ら名勝負、名場面を振り返っていた。燃える闘魂追悼連載「猪木自身が語った名勝負10番」第1回は、〝不沈艦〟スタン・ハンセンとの死闘を激白――。
【猪木自身が語った名勝負10番(1)】1977年から新日本プロレスに参戦したスタン・ハンセンは、アントニオ猪木との抗争を通じその才能を開花。当時のハンセンを「あの時はWWWF(現WWE)から干されてたんじゃなかったかな。(ブルーノ)サンマルチノの首にケガをさせて」と回想した。
メインイベンターに大ケガを負わせ、米国マットに居場所がなくなっていた若手選手をあえて招聘。「あのサンマルチノの首をへし折った男」という悪名を肩書に変え、スターへの階段を上らせた。「プロというのは、大事なことは観客をどうつかむか。その点(ハンセンは)自分の個性とかそういうものを十分承知していた」と評価する。
80年9月には猪木が持つNWFヘビー級王座をかけて連戦で激突した。初戦となった11日の大阪府立体育会館で行われたV3戦。大荒れの試合は場外乱闘の末、リングに滑り込んだ猪木がギリギリでリングアウト勝ち。しかし、試合後も荒れるハンセンに後ろからラリアートで襲われて失神させられた。
ハンセンのラリアートについて「腕が太いのと、パワーもだけど、そこにあの体重を乗っけた部分がすごかったですね。やっぱり、後ろからっていうのは怖いよ。それを契機にじゃないけど、今は食事でも必ず後ろに壁がある席に座るもん。本能的に」と苦笑した。
続く25日広島大会のV4戦では猪木が最初で最後のラリアートで意表を突き、逆さ押さえ込みで勝利。今は「おきて破りの○○」と呼ばわれる相手の得意技を使う戦法は、これが初めてだったとも言われている。「俺の(ラリアート)はダメだったね。打ち込みは。年季が違ったよ」と振り返った。
▽NWFヘビー級選手権(61分1本勝負)
〈王者〉
〇アントニオ猪木
17分47秒 リングアウト
〈挑戦者〉
S・ハンセン●
(1980年9月11日、新日本プロレス・大阪府立体育会館)
▽NWFヘビー級選手権(61分1本勝負)
〈王者〉
〇アントニオ猪木
10分49秒 逆さ押さえ込み
〈挑戦者〉
S・ハンセン●
(1980年9月25日、新日本プロレス・広島県立体育館)












