【武藤敬司の軌跡(30)】全日本プロレスの経営が苦しくなっていく中、2012年11月に白石伸生新社長の体制になって、立て直しを図ることになったんだ。
でも結局、彼とはやりたいプロレスが全く違ってね。まさに水と油でさ。それで今後をどうしようかと思って友人に相談していく中で、K―1の矢吹(満)オーナーを紹介してもらったんだよ。そこからは川の流れのように一気にバーッといってね。矢吹オーナーは「だったら僕が全日本を買いましょうか?」くらいのことまで言ってくれたんだけど、結局買うことはできなかった。
それで、結果的にW―1をつくることになったんだ。俺について全日本を辞めた選手にプロレスをやる場を与えなきゃいけなかったから。そこで昔使っていた「W―1」っていう名前で新団体を設立することにしたんだよ。
でも正直、この時は選手に積極的に声をかけたり誘ったりはしなかった。それでも一応、今まで養ったり育てたりしている選手たちだから、少しは責任を取らないといけないじゃん。だから「どうする? 俺は出ていくけど…」くらいに話したらついてくる選手たちがいたんだよ。
そういう状況だから、全日本のころに比べて戦力が欠けたわけだ。その上、プロレス自体の調子が悪くなっている時代だった。だから「普通のプロレスでは通用しないぞ」という状況でね。そこで会場のビジョンを使ってあおったり、盛り上げたりする取り組みを始めたんだよ。カズ・ハヤシや近藤修司が一生懸命やっていた。
俺はその世界はわからないから任せたんだよ。レスラーとしてもヒザが悪くて、ほとんど欠場していたし…。それで映像を使ってやったんだけど、選手みんながそういうのに慣れてるわけじゃねえじゃん。しゃべりとかさ。小芝居みたいなのもやってビジョンに映していたけど、やっぱり役者じゃねえから、うまく伝わらないんだよ。WWEなんかはそこも含めて(育成)プログラムをつくってるから。趣旨は面白かったけどね。
ほかにもW―1はいろんな方法を模索したけど、その新しいプロレスはなかなか伝わらなかったかな。今思うと「従来のプロレスだと通用しない」という先入観が強過ぎたかもしれないよ。でも、やるしかなかったんだ。ある意味、今なんかSNSや動画配信でまさにその時代になった。ちょっと早過ぎたのかもしれねえなあ…。
ただ、そんな中でも俺は従来のプロレスしかできないから。そして、古いスタイルが好きなんだよ。だから途中で退いてカズに社長業を任せたりしてさ。その中で思いっきり逆振りするイベントを立ち上げた。それがマスターズだよ。













