【武藤敬司の軌跡(29)】2010年、ヒザの痛みに「ギブアップ」した。それまではうまいこと付き合っていたんだけどね。右ヒザが動かなくなって「変形性膝関節症」という診断で4月に手術したんだ。これにより試合は当分、欠場することになった。当時の全日本は「武藤商店」だからさ。いい調子できていたんだけど、どんどん業績が落ちたよ。そこに11年の東日本大震災。どんどん苦しくなったね。
5月の不祥事(※1)? 事件のことはよく分かんないよ。控室は違ったしさ。選手同士が不仲? 分からない。ただ、そういうこともあって社長を辞めて、内田雅之さんに引き継いでもらったんだ。俺から頼んだんだよ。「内田さん、社長をやってくれない?」って。理由は事件のことばっかりじゃない。業績も落ちていたしね。
そんな中、8月に東京スポーツ新聞社主催の東日本大震災復興支援チャリティー大会「ALL TOGETHER」が行われてね。ようまとまったよ、震災のチャリティーとはいえ。ここで小橋建太と組んで飯塚高史、矢野通組と対戦して東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」のベストバウトを取ったんだ。
当時の小橋? ヒザが悪そうだなって思っていたよ。控室で「お互い、ムーンサルトをやりすぎたな」って言い合ったのをよう覚えてるよ。でも試合はまあ…、正直そんな難しいものじゃなかったよ。お客の求めるものをする試合? そうそうそう。よっぽど引退試合の方が難しいと思うよ。
その後もリック・フレアーの「ドタキャン事件」(※2)とかあってさ。フレアーと組んで藤波辰爾さん、真田聖也(現SANADA)組と対戦する…はずが、当日になって「足が痛い。エコノミークラス症候群だ」とか言い出して。こっちもギリギリまで話したけど最後は「シューズを持ってきてねえ」とか言いやがった。今思えば、はなっから試合するつもりなかったんじゃないか。
そうこうしているうちに、状況はどんどん厳しくなっていって、内田さんも「もう無理です」ってなって、白石伸生っていう人が新たに社長になってさ。もともと俺が知り合いだったというか、つないだんだけど、結果的にそれが自分の退団につながったんだよね。出ていく理由? 要は、彼がやりたいプロレスと、俺がやりたいプロレスが違ったんだよ。
※1 5月29日の神戸大会後にスーパー・ヘイト(平井伸和)が倒れ「急性硬膜下血腫」と診断された。試合前にTARUが暴行を加えたとされた
※2 13年1月26日の全日本プロレス・大田区総合体育館大会で出場予定のフレアーが開始直前に出場を拒否して問題になった













