【武藤敬司の軌跡(27)】全日本プロレスの社長としての取り組みの中で始めたことの一つが、他団体との交流だった。2003年から橋本真也のゼロワンと対抗戦をやってね。おもしろかったよ。最初ケンカしに行く時(2月2日)なんて、向こうのディファ有明大会に全選手で宣戦布告をしに行ったりね。

ポーズを決める武藤(左)と橋本さん(04年4月)
ポーズを決める武藤(左)と橋本さん(04年4月)

 その流れもあって、2月23日の日本武道館大会でグレート・ムタが橋本に3冠ヘビー級のベルトを取られちまったんだけど、そこからが厄介だった…。あいつ、チャンピオンになってからコンディションが悪くなりやがってさ! 足を悪くして、松葉づえをついて会場に来たり、袈裟斬りチョップして自分の肩が外れちまったり。かなりコンディションが悪くて俺も悩まされたよ。

 04年は俺のデビュー20周年っていうのもあって、久々に新日本1月4日の東京ドーム大会に出てなあ。ボブ・サップと組んで蝶野正洋、天山広吉とやったんだけど、その出場の交換条件で新日本が持っていたムタの商標とコスチュームを返してもらったんだよ。

 当時のサップはビッグスターだった。もともとWCWパワープラントっていう養成機関の出身なんだよね。昔、見学したことがあるんだよ。その時にサップもいて、俺にあいさつしたんだけど、無視したらしいんだ。その後、サップと会う度に「あの時、俺を無視した」って言われてたよ。無視した記憶なんてない。俺からしたら、たくさんいた選手の一人だからさ…(苦笑い)。

 この年の7月10日にノアにも上がって、初めて三沢光晴社長と対戦したんだったな。東京ドームで太陽ケアと組んで三沢社長、小川良成と対戦したんだ。その後、10月には三沢社長と組んで馳浩、佐々木健介と対戦もした。三沢社長とはこの2試合だけだったな…。

 印象? あんなちょっとじゃ、なんとも言えねえな。でもさ、あとあと考えると、それくらいでよかったのかなとも思うよ。だって、お客に「どっちが強いんだろう」「どっちがうまいんだろう」とか想像させるのもプロレスじゃん。今、想像すると? そうだね、手は合っていたと思うよ。太陽ケアはうまかったし、川田利明ともいいプロレスをしていたから、多分。天龍源一郎さんもだけど、全日本ってゆったりしたプロレスをするから。三沢社長もその流れをくむプロレスをするからね。その点、長州力さんとか藤波辰爾さんは、本当せっかちなプロレスをしてるから。

武藤(右)は三沢さんとタッグを結成(04年10月)
武藤(右)は三沢さんとタッグを結成(04年10月)

 この翌年の05年7月に橋本真也が40歳で亡くなってるんだよ。最初はとても信じられなかったな…。アイツ、岐阜の出身で織田信長が好きだったんだよ。その織田信長って確か49歳で亡くなってるんだけどさ、それより随分早かったな…。

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