ソフトバンクが福岡移転後初となるリーグ3連覇を達成した。
優勝マジック「2」で迎えた17日のオリックス戦(京セラドーム)に7―1の快勝。2位・西武が敗れ、前身の南海発祥の地・大阪で小久保裕紀監督(54)がナインに胴上げされ、7度宙に舞った。
金字塔とも言える「V3」は、球団では南海時代の1964~66年以来、60年ぶりの快挙だ。南海、ダイエー時代と合わせて22度目、1リーグ時代を含めれば24度目の制覇。昨オフに「長期政権」を託された鷹の将が、球団の信頼に最高の結果で応えてみせた。
万感の思いを込めて歓喜の輪に加わった。3年連続の胴上げとなったが、味わいはまた格別だ。小久保監督は「2月のキャンプからパ・リーグ3連覇を。ここ大阪を本拠地とし福岡に移転してまだ達成していない目標だったんで、その目標を今日達成することができて感無量です」と語り、5度宙に舞った孫正義オーナーやナイン、コーチ、スタッフと喜びを分かち合った。
契約を結び直した昨年12月、球団から「中長期的な視点で2年連続日本一、リーグ3連覇に集中してほしい」と長期政権を託された指揮官は「王イズムの継承と最先端技術を取り入れて強いチームをつくる」と応じた。結果がすべての世界で有言実行の手腕を発揮。強さを証明し、常勝軍団の新たな黄金期到来を印象づけるシーズンとなった。
逆風を跳ねのけての非願成就だった。オフに、昨季まで2年連続最多勝の有原が自由契約の末に覇権を争うライバル球団の日本ハムに移籍。2月には、勝ちパターンの中継ぎを担ってきた藤井が右肘内側側副じん帯再建術を受けて今季絶望となった。さらに、絶対エースのモイネロがかねて訴えてきた勤続疲労とWBC出場に伴う調整不足で、前半戦での一軍帰還を見送った。チームに根づく常勝の礎は「投手中心の守り勝つ野球」。ゆえに不安定な序盤戦は覚悟の上だった。
シーズン42試合目の5月20日には借金2まで沈んだ。先発陣のコマ不足、中継ぎ不安が重なって黒星先行。チーム内には重苦しい空気が充満していた。どん底に沈んだその日の試合後、小久保監督は緊急の野手ミーティングを開催。投手力が落ち込む中、野手陣の奮起を求めるものだった。次戦から攻撃陣は2試合連続の2桁得点。驚異的なV字回復はここから始まった。
3連覇は「名将」の仲間入りと言える勲章だろう。要所では非情にも映る采配を振るいながら、チームを引き締めた。外野にまで伝わるピリッとした空気。実績組やベテランを聖域化せず、選手に責任感と緊張感を持たせた。ただ勝つことだけが職責ではない。勝ちながら次世代の「核」となる選手をつくる――。人を遺してこそ名将だ。指揮官はかねて〝強い選手〟を求めてきた。それは端的に言えば「強い体」「強い意志」「忍耐強さ」を併せ持った選手。長くチームの屋台骨を支える選手の台頭を望んできた。
今季は球団が待ち望んだ「代えの利かない大砲」候補が頭角を現したシーズンだった。プロ5年目の正木智也外野手(26)だ。3月のオープン戦期間中に右足蜂窩織炎のため離脱して開幕一軍を逃すも、戦列に戻った5月中旬から「強打の1番」に定着。ここまで出場94試合で打率2割8分6厘、27本塁打、58打点と欠かせない戦力となった。
小久保監督は開幕前に正木の覚醒を確信していたに違いない。春のオープン戦、正木は患部の激痛に耐え試合を重ねていた。3月17日の中日戦は「普通の人なら歩くこともできないくらいの痛み」(小久保監督)を抱えながら強行出場。ド根性の一発を放った直後、指揮官はベンチで交代を告げる際、直接本人に手術をすすめた。翌日、正木は病院に着くと高熱を発症。激痛で靴を脱ぐにも10分以上の時間を要すほどだった。正木は当時をこう振り返る。「オープン戦とはいえ、本当に野球人生において重要な時期だと思った。あれくらいまでの痛みなら出続けられるってことが分かった」。歯を食いしばってグラウンドに立ち続けたのは、大卒5年目となるシーズンにすべてをかけて臨んでいたからだ。
指揮官はその本気度を十分に感じ取っていた。「昭和の野球選手かと思った」。術後、正木と再会した際に小久保監督が直接本人にかけた言葉だ。正木にとっては最高の褒め言葉――。信頼を託される選手に一歩近づいた実感が26歳の成長を強烈に後押しした。
なぜ〝強い選手〟が求められるのか。それは勝敗を決す場面で、たとえ結果が振るわずとも〝強い選手〟を送り出して出た結果であれば納得がいくからに違いない。指揮官が求めるスタイルと信念が次世代を担う選手にも浸透し始めた就任3年目。リーグ4連覇、さらにその先を描ける戦力の充実が進んでいる。












