【中島輝士 怪物テルシー物語(62)】私が5年目だった1993年、大沢啓二新監督率いる日本ハムは黄金期の西武と首位争いを演じていました。前年5位からの大躍進に球界も盛り上がったかと思います。ただ、私個人としては悔しいシーズンになりました。前年はキャリアハイの成績を残しながら、出場機会は減っていきました。

 私が前年に守っていた一塁に新戦力が加入しました。メジャー通算41本塁打で左投手に強い右のパワーヒッターであり、捕手以外ならどこでも守れるリック・シューが入団してきたんです。

 シューは4月に打率3割2分1厘、7本塁打、18打点で月間MVPを獲得。チームの4月首位発進に大きく貢献しました。実際に私自身がキャンプで見た印象でも、いい選手だなというふうに思っていました。助っ人に負けちゃいけないんですけどね。それでも、いい選手であることは認めざるを得ませんでした。

 大沢監督は「シュー様」と呼んでお気に入りで、マット・ウインタースとともに打線をけん引する存在となっていました。シーズン後半は1本塁打とペースダウンしたものの、ともにチーム2位の24本塁打、79打点という成績を残しました。

 私も頑張らないといけなかったんです。代打に回ることになりましたが、代打での打率は3割を超えていました。トータルでは87試合で236打席に立って打率2割8分6厘、68安打、6本塁打、33打点。代打からでももっとアピールして、シューを押しのけないとダメだったんです。

 しかし、シューは紳士で練習態度も真面目で守備も良かった。ウインタースは守備は全くダメでもお調子者でしたね。かぶり物をしてグラウンドではしゃぎ回っていたでしょ。土橋さんはウインタースを良くは思っていない様子でしたが、大沢さんは大好きでしたね。DHに固定されてからウインタースは成績が安定しましたね。

 大沢さんはロッテ戦で伊良部秀輝(ヤンキース、阪神など)に抑えられた試合後には「幕張の伊良部クラゲに刺されちまったよ」とコメントしてみたり、試合後の会見ではユーモアたっぷりでした。報道陣の皆さんも期待していましたもんね。

「大沢親分」という言葉もこの時期に世間に広まりました。93年の新語・流行語大賞には「親分」がノミネートされ「大衆語部門・金賞」に選ばれています。

 就任2年目となる94年は大いに期待されましたが、投打に故障者が続出してチームも低迷しました。5球団全てに負け越しという結果に終わり、最下位でした。チーム打率、得点、安打、打点、防御率、失点、盗塁の各部門でリーグ最下位と前年度から大きく数字を落としてしまいました。

 9月29日、本拠地の東京ドームで最終戦終了後のあいさつを終えた後、大沢さんはファンの前で土下座をしました。私自身も入団以来、最少の55試合の出場に終わり打率は1割8分9厘。このシーズンをもって大沢監督は辞任し、球団からも退団してしまいました。

 次年度から新監督を迎えるわけですが、そうなると新しい色が欲しくなるわけです。私のようなベテラン選手は苦境に陥ることになります。