【昭和~平成スター列伝】新日本プロレスのIWGPヘビー級王者・辻陽太は12日、両国国技館大会のV2戦後、米国・AEWのケニー・オメガ、ボルチン・オレッグの乱入を受けて、11月3日広島大会で挑戦権をかけたノンタイトル3WAY戦が緊急決定。辻は来年1月4日東京ドーム大会でAEWとの全面対抗戦を熱望している。

木村に16文キックを見舞う馬場.jpg
木村に16文キックを見舞う馬場.jpg

 新日本で全面対抗戦といえば、やはり1995年10月、東京ドームでのUWFインターとの全面抗争が頭に浮かぶ。対抗団体の全日本プロレスは86年の長州力率いるジャパンプロレスとの対抗戦が話題を呼んだ。しかしマニア心をくすぐる味のある対抗戦も存在した。78年2月に開催された「全日・国際プロレス・韓国軍」の3軍対抗戦(全3大会)である。

 慢性的な経営難にあった国際は74年から全日本との提携を始め、ジャイアント馬場らがシリーズに参加。75年12月のオープン選手権にも国際勢が参加。馬場はエース格のラッシャー木村と対決して勝利を収めた。3軍対抗戦の初戦(蔵前国技館)では馬場が木村と3年ぶりに一騎打ちを行っている。

「全日プロ、国プロの大将同士の一騎打ち。時間無制限1本勝負で審判は3人だ。東側に国プロ、西側に全日プロの応援団。一進一退の攻防にファン同士の乱闘まで起きてしまった。木村が頭突き、カウンターの水平打ちで場外へ叩き出した。上がってきた馬場を捕らえると強烈なパイルドライバー。カウントは2だ。馬場のスタミナは十分。ロープに飛ばして得意の16文。木村の足を丸めて4の字固めに入る馬場。木村は必死で逃げるが、馬場が2度目の16文カウンターから足4の字。二転、三転、木村の頭と上半身がやっとロープを出た。馬場の体は場内。普通のケースならここでレフェリーが割って入るはず。ところがこの時、ゴングが鳴らされる。不思議なことに芳の里レフェリーは場外の木村にカウントを開始。そして10。またゴングが鳴りアナウンサーは木村のギブアップ負けからリングアウト負けに訂正。木村が猛烈に抗議。しかし裁定が下った後ではいかんともしがたい。『ぜひもう一度決着戦を』。これが木村の本音に違いない」(抜粋)

 不透明極まりない灰色決着だったが、木村は第2戦(21日大阪)でジャンボ鶴田にも敗戦を喫してしまう。しかしそもそもこの対抗戦を馬場が企画した真意は何なのか。和田京平名誉レフェリーが語る。

「馬場さんと吉原(功・国プロ社長)さんは手が合ったんですよ。だから地方巡業なんかにも参戦していた。この時期になると、もう国際は傾いてしまって吉原さんの手には負えなくなっていた。馬場さんにしてみれば『潰すか潰されるか』という気持ちじゃなく、国際と大木さん(金太郎=韓国軍)を助ける意味で、組んだと思う。だけど、もう手遅れという感が強かったようだね」

 結局、国際は81年9月に正式解散。木村は新日本に参戦し、その後UWFを経て84年から全日本に参戦する。 (敬称略)