【昭和~平成スター列伝】米国・AEWの初のフランス大会「AEW グランドスラム」(パリ)が6日に放送され、AEWインターナショナル王者のオカダ・カズチカはAEW世界王者のウィル・オスプレイに敗戦。米メジャー団体の最高峰王座初戴冠はならなかった。
日本人で初めてフランスで王者となったのは、国際プロレスの豊登、ストロング小林組だった。1969年5月に欧州で開催された初代IWA世界タッグ王座決定トーナメントを勝ち抜き、同18日にパリでモンスター・ロシモフ、イワン・ストロゴフ組に2―1で勝利して見事、初代王者となった。ロシモフはお断りするまでもなく後の“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントである。しかしこの試合には報道陣は帯同しなかったため、写真は現存していない。
王者として凱旋帰国した2人は、同年7月17日大阪でスタン・ザ・ムース&オックス・ベーカー組を相手に初防衛に成功している。
「豊登の奇襲攻撃は見事だった。外国人組は反則パンチ、かみつき攻撃。豊登も小林も右耳、左耳をかじられた。5分過ぎ、豊登が得意のハンマーパンチで吹っ飛ばすと、ベーカーの額をガブリ。十余年のキャリアを誇る豊登がかみついたのは、この日が初めてだろう。猛牛の額はパックリ割れ、鮮血が流れて真っ赤になった。豊登は援護にかけつけたムースにもかみつき額を割ってしまった。チャンスとばかりに豊登はベーカーを捕え、逆片エビ固めに決めた。1本目ですっかりペースに乗った日本組。2本目は小林がムースを捕えて料理した。血ダルマのムースはリング上をゴロゴロ。小林はチョップ、ヒザ落とし、体当たりとスピードに乗った三段攻撃をかけ、あっさり押さえ込んだ。その後、外国人組は試合前の約束通り、頭髪をトラ刈りにされてガックリしていた。日本組の見事な作戦勝ちの初防衛だった」(抜粋)
後に“怪力無双”と呼ばれてIWA世界ヘビー級王者にもなった小林はこの時、まだ28歳。デビュー2年にも達しておらず、前年10月に初の海外修行に出たばかりだった。
豊登、小林組は4度の防衛に成功するが、70年1月に、豊登が国際プロレスを退団したため、返上となった。新王者決定戦は70年1月18日福岡で行われロシモフ、マイケル・ネイダー組がグレート草津、サンダー杉山を下して、第2代王者となった。ロシモフはこれが初来日。223センチ236キロの大巨人は日本のファンのド肝を抜いた。その後、73年にアンドレ・ザ・ジャイアントに改名してWWWF(現WWE)に参戦して世界的スターとなった。
一方の小林も71年6月にIWA世界ヘビー級王座を獲得。25回の防衛を重ねて国際プロの屋台骨を支えた後、74年3月19日蔵前の“昭和の巌流島”と呼ばれたアントニオ猪木との伝説の一戦に向かうことになる。 (敬称略)













