【昭和~平成スター列伝】“炎の飛龍”藤波辰爾(ドラディション)が、10月3日に福岡・鳥飼八幡宮で「奉納プロレス」を開催する。このイベントは藤波のデビュー55周年と、鳥飼八幡宮の遷宮成就を記念したもので、ドラディションのレスラーが奉納試合を行う。

 奉納プロレスは日本プロレス界の祖・力道山率いる日本プロレスが、1961年4月23日に東京・靖国神社の「靖国神社例大祭」で開催したのが元祖だった。戦後からまだ16年しかたっていないとあって、厳粛な雰囲気の中、実に約2万人(主催者発表)の大観衆を集めて行われた。

 まだデビュー2年目のジャイアント馬場、アントニオ猪木(それぞれ当時は馬場正平、猪木完至)は2試合を行い、力道山は出場せず8人参加のバトルロイヤルのレフェリーを務めている。この大会の試合の写真は、バトルの1枚だけが本社に現存していた。

「靖国神社例大祭奉納プロレスが午後5時から境内相撲場特設リングで開催された。試合に先がけて力道山ら20名が奥殿に参拝、玉串をささげた。この日の観衆は約2万人。警察が出動する騒ぎで、力道山はレフェリーを務めて拍手をあびた。この靖国神社相撲場は大正10年3月5、6日、プロレス世界ミドル級チャンピオン、アド・サンテルとヘンリー・ウエーバーらが庄司彦雄6段ら柔道家と熱戦を演じて引き分けた古戦場で、いわば日本プロレス界発生というべきゆかりの地。靖国神社社務所では『昔は奉納相撲があったが、今は奉納プロレスになった。これも時代でしょう。英霊も心からよろこんでいることと思います』と感激していた」(抜粋)

 奉納プロレスの歴史の奥の深さが分かる記事である。この日は計8試合が行われ、馬場は同期の大木金太郎とのシングル戦に勝利。メインのタッグマッチ(45分3本勝負)では大木と組んで先輩の土佐ノ花、長沢秀幸組と対戦し、大木が土佐ノ花にストレート負けを喫している。

 一方の猪木は第3試合で田中忠治に首固めで敗れ、第4試合の8人参加バトルロイヤルに出場。決勝戦は田中が平井光明(後のミツ・ヒライ)を下して優勝。他の参加者は猪木、林牛之助、長谷川丹治、竹下民夫、大坪清隆、吉原功(後の国際プロレス社長)だった。力道山はこの試合のみレフェリーを務め、選手以上の歓声を浴びたとされる。

 力道山時代の奉納プロレスはこの1回のみが開催されただけで、2005年にZERO1が44年ぶりに復活させ、定期的に開催して、奉納プロレスはファンの間でも定着した。65年の時を経て力道山から藤波へとバトンは継がれることになる。 (敬称略)