米国・テキサス州出身のカウボーイレスラーとして、新日本プロレスや全日本プロレスでも活躍したボビー・ダンカンさんが、死去したことがわかった。81歳だった。WWEが21日、公式サイトで発表した。

 米プロフットボールNFL選手だったダンカンさんは、1960年代後半からリングに上がり、NWAやAWAマットで悪党レスラーとして存在感を示した。74年からWWWF(現WWE)に参戦し、〝人間発電所〟ブルーノ・サンマルチノの持つヘビー級王座にも挑戦した。WWE公式サイトでは「テキサス州オースティン出身の荒々しいカウボーイは、各地域で最も恐れられた悪党の一人であり、そのタフさは群を抜いていた」と評している。

 日本マットには日本プロレス時代から参戦し、72年にはジャイアント馬場、坂口征二とタッグ王座を争った。70年代の全日本参戦を経て、80年代は新日本のリングで、アントニオ猪木らと激戦を展開。80年12月には米ニューヨークの〝格闘技の聖地〟マジソンスクエア・ガーデン(MS・G)で、猪木のNWFヘビー級王座に挑戦し、敗れている。

 一方で、80年前半に起きた新日本と全日本の外国人選手引き抜き戦争では、同じテキサス州出身のテリー・ファンクの弟分として、舞台裏でハルク・ホーガンやタイガー・ジェット・シンの引き抜きに関与したとされている。また息子のボビー・ダンカン・ジュニアもプロレスラーとなり、全日本の常連選手となったが、「2000年、34歳の若さで薬物過剰摂取により悲劇的な死を遂げた」(英紙サン)。

 WWE殿堂者で元WWE王者のJBLは自身のX(旧ツイッター)を更新。ジュニアの葬儀で弔辞を読んだことを明かし、父のボビー・ダンカン・シニアさんについて「本当に素晴らしい家族だった。ダンカンさんはいつもとても優しく、一緒にいるだけでいい人だった――彼には独特のオーラがあって、彼のそばにいるのは心地よかった。R.I.P」と投稿。テキサス出身の先輩で、同じカウボーイレスラーの先駆者を悼んでいた。