【昭和~平成スター列伝】新日本プロレス4日の東京ドーム大会で、東京五輪柔道100キロ級金メダルのウルフアロンが、NEVER無差別級王者のEVILを絞め落とし、衝撃のプロレスデビューを飾った。金メダリストのプロレス転向は、日本人では史上初で圧巻の強さを見せつけ、今後の活躍へ大きな期待を抱かせた。

十八番のアトミックドロップをパワーズに決める坂口
十八番のアトミックドロップをパワーズに決める坂口

 新日本の歴史において「柔道」といえば、やはり“世界の荒鷲”こと坂口征二(現相談役)だった。明大から旭化成に進み、1965年全日本選手権優勝、世界選手権銅メダル。柔道界のエースとして期待されるも、66年にはメキシコ五輪で柔道が正式種目から外れることが決定。プロレス転向を決意した。

 坂口は67年2月に日本プロレス入団。海外修行を経て、NWA世界王座にも挑戦。一気にトップ選手となり、73年4月にはアントニオ猪木が旗揚げした新日本に合流。圧倒的な実力と誰からも信頼される人間性で団体を支えた。

 日プロ時代には馬場、猪木が退団した後の72年にUNヘビー級王座を獲得したが、新日本移籍後は猪木がNWFヘビー級王座を看板としていたため、常に猪木のサポートに徹していた坂口は国内でのシングル王座には縁がなかった。ようやくシングル王座を獲得したのは新日本移籍から約6年が経過した79年1月26日岡山で、ジョニー・パワーズから北米ヘビー級王座を奪った試合だった。

「“死神”パワーズはいきなりドロップキック。坂口もパンチからニーアタック。スタートから目が離せない攻防だ。だが坂口はネックハンギングで反撃開始。さらに絞首吊り。スリーパーでグイグイ絞め上げる。坂口は一気にコブラツイスト。だがパワーズは恐るべき底力でコブラを外すと大逆襲。坂口の足を鉄柱にからみつけて、さらにパワーズロック。坂口はようやくブレークしてリング下に転げ落ちる。パワーズはコーナーマットを外してムキ出しの金具に叩きつける。坂口は額が割れ激しい出血だ。だが気力でこのピンチをしのぎ切った。フラフラになりながらも逆にパワーズを3度、4度と金具に叩きつけてパワースラム。さらにポスト最上段にのぼり、意表を突くフライングニードロップ。これがモロに命中し、3カウント。坂口は“死神”を撃破し“2冠王座”を達成した」(抜粋)

 当時、坂口はストロング小林と北米タッグ王座を保持しており「北米2冠王」となった。同タッグ王座は74年8月に猪木と初戴冠。以降はパートナーを小林、長州力と代え「北米」は坂口の代名詞となっていた。

 北米王座は81年4月にIWGP構想のために返上されるも「最強論」もあった坂口が巻いたからこそ価値のあるベルトとなった。ウルフもまずはNEVER王座の価値を高め、誰にも遠慮することなく頂点を目指してほしい。(敬称略)