【中島輝士 怪物テルシー物語(74)】前回に引き続き、陽岱鋼のお話をさせていただきます。2005年の高校生ドラフト1巡目です。福岡第一高に台湾から野球留学していた陽を日本ハムは1巡目で指名しました。ソフトバンクと競合しましたが、抽選で日本ハムが交渉権を獲得します。

 それで普通に事が流れればよかったのですが、当時のソフトバンク・王貞治監督が当たりくじを勘違いしてしまい、ソフトバンクが交渉権獲得というふうになってしまいました。日本ハムはくじ引きをトレイ・ヒルマン監督が担当し、漢字を読むことができなかったことも重なり、混乱が発生してしまいます。

 さらには、台湾出身の陽が母国の英雄である王監督にも憧れており、兄の陽耀勲のソフトバンク入りがほぼ確定していたことも重なり、意中の球団がソフトバンクだったという事情も事をややこしくしてしまいました。

 当時のくじ引き用紙は二つ折りになっており、用紙を開くと右側にNPBのハンコ、当たりくじのみ左側に「交渉権確定」の文字が印刷されていました。この様式は長く運用されていたのですが、この年のドラフトでは抽選が3年ぶりであったこと、時短のために事前説明が簡略化されたことなどからハプニングが起こってしまいました。

 気の毒なのは、運命を左右されてしまった陽本人なんですね。ソフトバンク入りと思い込んで始まった会見が急きょ、日本ハムが交渉権獲得ということになったわけです。会見は一時中断されて仕切り直しです。

 異国の地に来て3年で、母国語ではない日本語でカメラの前に立つ重圧は相当なものだったでしょう。最初は希望のソフトバンクと思いきや、日本ハムと聞いて頭が真っ白になったでしょう。

 普通にルール通りの運用となっていれば何ら問題はありませんでした。ただ、この模様はテレビでも放送されており、世論は陽がかわいそうじゃないかという風潮になっていました。中には「人の人生をくじ引きで決めるなんて」というような人権問題に発展するような論調まであり、日本ハムのスカウトである私にとっては非常にやりにくい状況に陥りました。

 指名あいさつで福岡第一高を訪れた時には校門に大勢の取材陣が構えており、ワイドショーでも取り上げられ大変な事態になりました。陽はその後、台湾に戻って家族と相談するなど時間を置きました。当時の高田繁GMや島田利正球団代表、山田正雄スカウト顧問と私が台湾まで行ったことも覚えていますね。

 その後は誠意ある交渉を重ね、札幌ドームなどの施設見学をするなど、陽は前向きな気持ちになってくれました。11月9日には日本ハムと仮契約というところまでたどり着きました。結果的に台湾人史上最高位のドラフト1巡目指名を受け入団ということになりました。

 NPBはこの際の不手際を認め陽本人、学校側などにも謝罪をしました。それでも勘違いの原因となったくじの印字については、そのままの状況が続きました。そして15年、明大・高山俊を巡ってヤクルトと阪神で再び同様のトラブルが発生し、ようやく16年ドラフトから外れくじのNPBマークを外して白紙にすることが決まりました。