【中島輝士 怪物テルシー物語(69)】近鉄のユニホームで現役を引退してからコーチを経てスカウトに転身。2000年からスタートしたスカウトの仕事が経験を重ねるごとに面白くなっていきました。近鉄の首脳にもスカウトとしての眼力を認めてもらい精力的に動く毎日でした。

 ただ、04年に事態が大きく変化します。6月13日に近鉄とオリックスが合併するという報道が出て、どうもそれが事実であり着実に進行されているということが分かってきます。その後の球界再編問題をここでは語りませんが、紆余曲折あって近鉄の人材は合併球団のオリックス、新設球団の楽天に移籍していくことになっていきます。

 スカウトという仕事は人とのつながりが大事な職業です。それまで近鉄の補強ポイントにそぐった調査、視察をしているわけですが球団がなくなるとなれば、どう動けばいいのかも分からなくなります。もう、04年のドラフトには近鉄は参加しないわけですから、近鉄のスカウトの仕事は事実上、6月にはストップしてしまったわけです。

 私の場合、ドラフトで獲ってくれた日本ハムが帰ってこいということで、同じスカウト職として誘ってくれました。近鉄の足高圭亮球団代表に相談したところ、行き先が決まってよかったと喜んでくれました。ありがたい話でした。

 その当時、04年のドラフトの目玉の1人はダルビッシュでした。大阪・羽曳野市出身ということもあって近鉄も注目していました。大阪市内の近鉄系列のホテルを段取りするなどして、ダルビッシュ獲得へ動いたこともありました。近鉄は消滅したため、入団できるはずもなかったですが、ご縁があったのか日本ハムが単独指名で交渉権を獲得し再会することになります。

 当初、私は佐賀県出身、福岡・柳川高出身ということもあって近鉄の九州担当スカウトということで活動していました。ただ、社会人では東京のプリンスホテルに在籍。その後は全日本に選出されるなど関東を中心に全国の野球人とのつながりができました。そして東京の日本ハム、大阪の近鉄でプロとしてプレーしました。そういった背景もあり最終的に近鉄では関西、中国、九州の広域を担当するスカウトとなっていました。

 投手と野手の両方を経験したアマ時代の経歴なども含めれば、冷静に考えればスカウト職というのは向いていたのではないかという指摘も受けます。最初は乗り気ではなかったスカウトですが案外、天職だったんじゃないのと、今はひそかに思っています。

 現役で野球をやって、その野球で結果を出してやり切って“野球バカ”のままで終われたら幸せなのかもしれないです。それでも、そんな人はまずいません。私は30代半ば過ぎに現役を退き、コーチ、スカウトを経て年齢が40歳を過ぎていきました。

 その後も現在に至るまで人生が続いているわけですが、現役引退後に勉強したことがその後につながっているなと痛感します。さらに未来にはなりますが、私は台湾、韓国、国内独立リーグ、大学野球の指導者にもなります。どの経験も全て私にとって大切な財産です。