【中島輝士 怪物テルシー物語(67)】1998年に現役引退した後、近鉄の二軍打撃コーチを経て2000年からスカウトに転身しました。最初はスカウトという仕事の楽しさを見いだすことが難しく、悩める日々もありましたが、若い可能性を発掘するうちにやりがいを感じるようになっていました。

 02年ドラフトの時期、私は東福岡高の吉村裕基に目をつけていました。当時の近鉄は4番に座る中村紀洋が全盛期を迎えていましたが、FA移籍の可能性もあり“ポスト・ノリ”の存在を獲得する必要がありました。

 吉村は1年夏の福岡県大会で私の母校・柳川高の3年生エース・香月良太(後に東芝から近鉄入り)から本塁打を記録しています。秋の公式戦では打率5割5厘、7本塁打と存在感を発揮していました。2年春には4番・一塁手として01年のセンバツに出場しベスト8。3年時は投手も務めたが甲子園出場とはなりませんでしたが、高校通算43本塁打の打棒に私は将来性を感じていました。

 そして02年のドラフト会議当日です。私はスカウトとして吉村獲得への準備を着々と進めていました。地元で家族や関係者との関係性を構築し、4位以内に確実に指名する旨を伝えていました。実は3位で指名する予定でしたが、ドラフトというものは当日の動向によって予定変更もあり得る予測不能の場所でもあります。事前に余裕を持って吉村のお父さんには4位で獲りますと伝えて万全を期したわけです。

 ところがです。ドラフト前日、都内のホテルで行ったスカウト会議では吉村3位で確定し「よし、よし」と思っていたのですが、当日に不測の事態が発生します。この年のドラフトは自由枠が2枠あり大学、社会人が対象です。2枠使用した場合は3巡目の指名権はなくウエーバーの4巡目から。1枠使用した場合は1巡目の指名権はなく2人目を2巡目で指名しウエーバーで4巡目から参加という変則的なドラフトでした。

 1巡目で高校生を指名する場合は抽選です。つまり3巡目までに2選手を確定させ、そこからはウエーバーという方式です。近鉄は1巡目で東北高・高井雄平を指名したもののヤクルトと競合して抽選で負けてしまいました。その結果、神戸国際大付属高の坂口智隆を1巡目指名で確定。3巡目で明徳義塾高の筧裕次郎の交渉権を獲得しました。

 さて、4巡目ウエーバーで3人目の選手(実質ドラフト3位)を吉村として入札すればいいわけですが、問題が発生しました。ドラフト1、2位で消えると目されていた松山商高の阿部健太が残っていたんですよ。高校生ではトップクラスの評価だった右腕が指名すれば獲れるという状況でした。

 四国担当の吹石徳一スカウト、九州担当の私を軸に梨田昌孝監督、球団社長らと協議しました。私としてはもう吉村を3位(4巡目)で行きましょうと主張しました。その理由を球団社長からも質問され「中村紀洋の後釜として間違いない選手です」と回答しました。しかし、私の思惑通りに事は運びませんでした。