【中島輝士 怪物テルシー物語(68)】前回に引き続き2002年ドラフトに関しての話題を継続したいと思います。私は現役を退いた後、コーチを経てスカウトの道を歩んでいました。九州担当として東福岡高・吉村裕基の獲得を目指し、ドラフト前日のスカウト会議でも吉村の3位での指名を確認し本番に臨みました。

 ところがです。1巡目で神戸国際大付属高・坂口智隆、3巡目で明徳義塾高・筧裕次郎と高校生の野手2人を指名した後に、高校球界では屈指の評価だった松山商高・阿部健太が残っているという事態が起こりました。ここからは球団社長、梨田昌孝監督、各スカウト陣らで協議です。

 私は予定通りに吉村を指名することを主張しました。ただ、多くの意見は投手を指名しようという流れになりました。近鉄は「いてまえ打線」が象徴する攻撃力の高さは抜群でしたが、逆に投手陣には不安を抱えていました。結果、4巡目(3位)で阿部を指名し、そこから折り返しで吉村を獲得できるだろうという見解でゴーサインが出ることになりました。

 そしてドラフト5巡目(4位)指名の時です。吉村の名前が呼ばれないままかと思っていましたが、わずか手前で横浜ベイスターズから吉村が指名されてしまいました。これは痛かったですねえ。仕方がないのですが、ドラフトの面白さ、運命というものを感じました。

 近鉄の九州担当スカウトとして「中村紀洋の後釜として間違いない存在」と推薦した吉村ですが、あと一歩のところでベイスターズに持っていかれてしまいました。

 吉村は4年目の06年に規定打席未到達ながら打率3割1分1厘、26本塁打と頭角を現し新人王を広島・梵英心に次ぐ2位の得票数。08年は34本塁打91打点という数字を残しました。09年6月17日のオリックス戦(横浜)では1番・右翼手で先発出場し6回、金子千尋から中越え2ランを放ち史上8人目となる全打順本塁打を記録。24歳での達成は最年少でセ・リーグ史上初ということでした。

 ソフトバンク時代の14年5月29日にはDeNA戦(横浜)で鶴岡慎也の代打として8回にホルヘ・ソーサから左越え2ランを打ち、史上28人目の全球団からの本塁打も記録しています。全打順と全球団からの本塁打を両方達成したのは史上初だそうですね。

 そういった吉村自身の活躍もあり、当時の近鉄関係者からは中島スカウトの眼力は確かだと評価もしていただいたようです。私自身もスカウトの仕事の面白さ、やりがいを感じるようになっていきました。

 現在、吉村は母校の東福岡高に戻りコーチとして指導者の道を歩んでいるようです。近鉄の一員として迎え入れることはできませんでしたが、スカウトという立場でいろんな選手に関わったことで、その後の人生にも興味を持って見守るという楽しみも増えました。多くの人々とのご縁に感謝です。