【中島輝士 怪物テルシー物語(73)】スカウトとして獲得に関わった選手で、強く印象に残っている事例をまた一つ紹介させていただきます。その名は陽岱鋼です。ドラフト指名当時は陽仲壽(ヨウ・チョンソ)という名前で、のちに改名しています。台湾の台東市出身で原住民であるアミ族にルーツを持つ選手です。

 小、中学校時代から遊撃手としてナショナルチームに選出され、高校からは野球留学のため福岡第一高へ入学しました。高校通算39本塁打のスラッガーで注目を集めていました。

 2005年10月3日でしたね。高校生ドラフト1巡目で陽の指名に関してはソフトバンクと日本ハムが競合。抽選ということになりました。当時の日本ハム・トレイ・ヒルマン監督、ソフトバンク・王貞治監督の順番でくじを引くことになりました。

 そこで封筒を先に開け、くじを高々と掲げてガッツポーズをしたのは王監督でした。実際に当たりくじを引いたのはヒルマン監督であり、この時点で事務局側は「交渉権は日本ハム」と発表したんです。ところが、王監督が手を挙げて、自軍の当たりを主張すると「交渉権はソフトバンク」と再度発表される事態となりました。

 ヒルマン監督は米国出身です。漢字を読むこともできないですから、王監督の主張を再度否定するということはできなかったんでしょう。しかし、実際は日本ハムが交渉権を得ているのに、世間的にはソフトバンクが交渉権を獲得したというふうに認識してしまったわけです。

 すると、福岡第一高で会見を準備していた陽本人は涙ながらに喜んでいます。校内に設置された会見場では大型テレビが用意され、陽は校長、野球部の監督と並んで報道陣の前に鎮座。大勢の取材陣と一緒にドラフト会議の中継に見入っていた状況でした。

 王監督が満面の笑みで右手を挙げると福岡第一高には祝福ムードが広がりました。そのまま地元テレビ局主導による会見が始まり、ソフトバンクに交渉権が決定した感想を陽はインタビューされています。

 陽がソフトバンク入りを熱望していたのは明らかでした。台湾生まれで日本でプロ野球選手になるのを夢見て野球留学してきた陽は3年間、生活した福岡に愛着もあったことでしょう。さらに祖国の英雄でもある王監督の存在。加えて、4つ上の兄である陽耀勲(当時・中国文化大)がソフトバンク入りすることがほぼ確定した事情もあっただけに、完全にぬか喜び状態となってしまっていたのです。

 福岡で行われていた会見場でも、東京のドラフト会場の異変に気づき始めます。小池唯夫議長(パ・リーグ会長)が当該球団の席を回り当たりくじを確認した結果、改めて事務局が「陽選手は日本ハム」と訂正。王監督は「NPBのハンコがあったので当たりだと思った」と談話を残しましたが、これが勘違いであったことが明らかになります。

 これで、勘違いなら仕方がないね。よし、分かりましたとはなりませんでした。この後、なかなかに大変な事態に発展してしまいます。