2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。

【ハダカの長嶋巨人#11・河原純一の巻】

 長嶋監督が「国民的行事」と表現した中日との10・8最終試合決戦を制し、西武を倒して日本一になったのが1994年。その年のドラフト会議で1位指名したのが、駒沢大の河原だった。

 当時のドラフトは逆指名制度の2年目。ダイエー(現ソフトバンク)との激しい争奪戦を制し、獲得した評判のルーキーにかかる期待は大きかった。河原もそんな周囲の期待にきっちり応え、1年目からキレキレの直球とスライダーで8勝を挙げる活躍。とりわけ阪神を相手に、プロ初勝利を初完封で飾った東京ドームでのピッチングは圧巻の内容で、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。

 ただ、河原というと、無口で喜怒哀楽を表に出さず、マウンド上での常に無表情なイメージが強かったから、当時の担当記者たちも〝料理〟の仕方には苦心していたところもあった。プライベートでも選手寮の自室で一人で過ごす日々のほうが多かったため「何を考えているのかわからないヤツ」というコーチもいたほどだ。

 その河原は02年に抑えに転向して大成功するのだが、配置転換を決めた当時の原監督は、その理由を「あいつは冷たそうに見えるからね。冷酷な男のほうが抑えに向いていると思ったんだ」と語っていたもの。だが、実際の素顔は接してみると全然違う。競馬好きでゲーマーの河原が、部屋に閉じこもっているのはゲームをやり込んでいるため。とにかく趣味の話になると目を輝かせて〝雄弁〟な男に変身した。

ドラフト1位指名を受けて笑顔が弾ける河原(1994年11月、駒沢大)
ドラフト1位指名を受けて笑顔が弾ける河原(1994年11月、駒沢大)

 ある年の宮崎春季キャンプでは、得意のゲームで同僚たちを派手に打ち負かした話も聞かせてくれた。だが、その数日後には競馬ゲームを利用し、ゲーム内のレースの着順を予想するという独自のシステムを編み出した先輩のM原投手との勝負で大惨敗…。そうした話をする時の河原は、マウンド上では決して見せない、なんともうれしそうな表情だった。

 そんな河原は40歳を過ぎても四国アイランドリーグの愛媛で投げ続けた。故障もたくさんしたし、苦しいことも多かったはずだが…。やっぱり一番好きなのは「野球」だったんだろう。独立リーグ時代の河原は、あの時のようなうれしそうな表情で投げていただろうか。