2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人#12・清原和博の巻】
長嶋巨人を取材した者として、やはりこの人を抜きには語れない。清原和博。その圧倒的な存在感は、誰よりも飛び抜けていた。
自分は「清原番」ではなかったものの、西武時代からの付き合いとなる本紙・本間記者と展開したプロレス転向話などで、紙面を大いに盛り上げてくれた。たび重なる故障や不振で苦しい立場に追いやられてからは、そんなノリはめっきり減ってしまったが…。たとえ何も語らずともその存在自体がドラマとなる、本当のスーパースターといえる選手だった。
清原といえば、劇的な通算400号アーチなど、たくさんの印象的なシーンが胸に残っているが、自分が一番感動したシーンはプレーではない。2002年7月30日、左太もも肉離れで登録抹消となり、東京ドームから去ったあとに全ナインへ向けて残した「書き置き」を目にした時だった。
ベンチ裏のホワイトボード、元木には「あとは頼んだ」。西武から移籍の黒田には「西武魂を見せてやれ」などと、一人ひとりあてにびっしり書き込まれていた。あれに心を動かされない選手はいないだろう。松井には「三冠王の援護ができなくてスマン」。これには松井も「うれしかった…」と言葉を詰まらせていたものだ。
清原とホワイトボードといえば、もうひとつ。あれは2001年、札幌ドームで行われたオールスター第3戦でのこと。ベンチ裏のホワイトボードに「本日試合開始23時 ススキノ路上にて 金本VS清原」と清原の自筆で仲のいい金本(当時広島)との〝路上決闘予告〟がしたためられていたことがあった。
もちろん清原が「あれはふざけてや」と笑い飛ばしたように、冗談だったそうだが「もしかして本当はやったのでは?」と、妙な期待感を持ってしまうのも〝主役〟が清原だからこそ。とにかく清原のやることは常にドラマ仕立てなのだ。
最近の清原は現場復帰はまだ難しそうな状況だ。だが必ずまた、現役時代のようにドン底からはい上がって、脚光を浴びる日が来ると思っている。指導者としてユニホームを着るチャンスを与えてくれる球団が現れたら、絶対に結果を残すに違いない。なぜって、それが「清原」という男だから…。このまま終わってほしくないと思っているのは、自分だけではないはずだ。













