2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の本紙巨人担当記者が振り返ります。
【ハダカの長嶋巨人#6・堀内VS西本の巻】
あれは1994年の開幕前のこと。長嶋巨人はオリックスを自由契約となった西本聖投手を獲得することになるのだが、これに猛反対したのが当時投手コーチを務めていた堀内恒夫さんだった。
西本さんといえば、切れ味鋭いシュートを武器に、かつて江川卓さん、定岡正二さんと「3本柱」を務めた大投手。ドラフト外入団から、持ち前の反骨心と猛練習でエースの座に上りつめた「努力の人」としても知られる。長嶋監督もそんな西本さんの「男意気」にほれ込んでいて、選手生活の晩年といえども「きっと巨人の力になる」と獲得に熱心だった。
だが、堀内コーチだけはなぜか「西本なんていらねえ!」。いったい、堀内さんと西本さんの間に何があったのか。そこで入社2年目の新米記者の私は、オープン戦の北関東遠征に向かう堀内さんの自宅におじゃました。新宿駅まで奥様の運転する車に乗せてもらって、中央線と山手線を乗り継いで上野駅まで。その道中、堀内さんは「オレが西本を使わない全理由」を明かしてくれた。
翌日、堀内さんの独占インタビューが本紙1面を飾ることになるのだが…。あまりにそのまんま書きすぎた。球団内は大騒ぎとなり、立場をなくしてしまった堀内さんは「記事にするなら『ある首脳陣』とか『球団関係者』にしてくれたらよかったんだけどな…」との言葉を最後に、話をしてくれなくなってしまった。
確かに際どい話をそのまま書けばインパクトは絶大だが、毎日顔を合わせる取材対象者との関係も悪化させてしまう。その後の大きなネタをみすみす逃すことにもなりかねない。とはいえ、匿名の関係者の談話による記事は読者に信ぴょう性を疑われる。そのさじ加減は非常に難しい。どこまで書けばいいのか。新米記者の自分にとって「堀内VS西本」事件は、その後の取材に大きな教訓となった。
とはいえ東スポ記者の基本は「インパクト優先」なのは言うまでもない。それで怒られて仲直りして、またケンカして握手する。その繰り返しの中、取材対象者に「一人の人間」として認めてもらうしかなかった。そんな現場での緊迫感あふれた日々をふと思い出す。













