2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者が振り返ります。
【ハダカの長嶋巨人#3・原辰徳の巻】
第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンを世界一に導いた大監督、そして巨人栄光のV9に迫れるのはこの人しかいない…とまで言われている存在なのが、元巨人監督の原さんだ。
ただ、長嶋巨人にあっての原さんは現役晩年ということもあり、苦しい時期のほうが多かったのではないかと思う。スタメンを外され、ベンチを温める日々が続いたかと思えば、試合に出ても「代打・一茂」などという交代もあった。
それでも明るさを失わないのが原さんらしいところ。私は当時の阪神・亀山に似ていたということもあって、原さんにだけ「カメ!」と呼ばれていたのだが、自分は苦しいのに「おいカメ! どうした」とよく声を掛けてくれたりもした。そんな原さんで印象深いのが、初めて原さんのケータイに電話をしたときのことだった。
今でこそ携帯電話による取材が主流になりつつあるが、そのころはまだ自宅での張り込み、カーチェイスなどは当たり前で「記者は足で取材しろ!」という時代。そんなこともあり、後ろめたい思いをしながら電話をかけてみると…。
「プルルル、プルルル…」
どうも忙しいらしく原さんは出なかった。
「初めて見る番号からの電話には出ないのかも…。仕方ない。明日、会ったときに話を聞こう…」
それから1時間ぐらいたっただろうか。
「おおっ、来た!」
私のケータイに原さんからのコールバックがあった。しかも「もしもし、読売巨人軍の原と申します。先ほどお電話いただいたのに、申し訳ありませんでした!」なんて謝られてしまったのだから、二度びっくりだ。
「なんだ、カメかよ!」
原さんはそういいながらも、こちらの質問にはちゃんと答えてくれた。
電話先の人物に、万が一にも失礼があってはいけないという思いがあったのだろう。あの時ほど「巨人軍は紳士たれ」を強烈に感じた瞬間はなかった。













