2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の本紙巨人担当記者が振り返ります。
【ハダカの長嶋巨人#4・高村良嘉の巻】
長嶋監督、松井秀喜、原辰徳、長嶋一茂といった“ビッグネーム”ではないけれど、私が長嶋巨人を取材していて一番、強烈な印象が残っているのが高村(こうむら)だ。
新日鉄光から1994年のドラフト5位で巨人に入団。実働2年間で84試合に出場し、51安打で打率2割9分7厘の成績を残した。面白いことを言う選手でもなかったし、大方の印象は「地味」な選手なんだと思う。巨人ファンでも覚えている人は少ないのではないか。だが、彼のプレーには本当に驚いた。当時は「とんでもない選手が現れた!」と心底思ったものだ。
あれは高村1年目のジャイアンツ球場。すっかり誰もいなくなったと思った室内練習場で、黙々とマシンを相手に打撃練習をしている光景に目が点になった。140キロは出ているであろうマシンのボールをバットがとらえた次の瞬間、打球はホームベースに当たって高く跳ね上がった。最初は打ち損じなのかと思ったが…。同じ光景が10球、20球と延々と繰り返された。そう、高村は狙ってホームベースに当てていたのだ。
「コツをつかめば簡単ですよ。直球ならボールの上から3分の1を叩けばいいし、変化球なら思い切りこねればいい。内野安打ならいつでも打てる自信はあります」
涼しい顔で説明してくれた高村に、こっちは背筋が寒くなった。高く跳ね上がる打球に高村の50メートル5秒6の俊足が加わればどうなるか。「日本球界初の4割打者も夢ではない」と本気で思った。実際、1年目のシーズン、高村はその打法で内野安打を量産し、シーズン終盤のわずか18試合の出場ながら打率3割5分8厘の成績を残した。
あの練習の光景を見せられたら、追っかけないわけにはいかない。“個人的趣味”で取材を続けた。
だが、翌年の春季キャンプでは「コーチに『ゴロ打ちは邪道だ』と言われたんです。きれいなライナーを打てるように練習しろと…」とショッキングな指示を受け、そして2年目のシーズン中には「やっぱりゴロを打てと言われて…。もう何が何だかわかりませんよ!」と悩みを打ち明けられた。
結局、高村はその年のオフに“売り物”の左足首を痛めて手術。復帰後は一軍に呼ばれることなく、98年に戦力外通告を受けた。
もし長所を生かしてくれる指導者に出会えていれば、故障がなければ…。つくづく野球選手が大成するためには「運」が必要なのだと思った。













