2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者が振り返ります。

【ハダカの長嶋巨人#5・駒田徳広の巻】

 巨人の歴史の中で、最初にFA権(フリー・エージェント権)を使って巨人を去っていったのが、駒田徳広さんだ。まだFAではメジャーに移籍できなかった時代、野球選手なら誰もがあこがれたのが、伝統も人気もあり待遇もよかった巨人でプレーすること。だが、それでも駒田さんは1993年オフ、横浜(現DeNA)へと移籍した。原因は首脳陣との確執。というより「マスコミ」ではなかったか。当時を取材した者として、自分たちマスコミが駒田さんをどんどん追い詰めていってしまったのではないかと思っている。

 そもそもの「確執」のきっかけは、中畑打撃コーチとの口論だった。93年オープン戦、開幕も間近に迫ったある試合での出場を志願した駒田さんの申し出を、中畑さんは一蹴。その後「出す」「出さない」の激しい言い争いに発展した末に中畑さんは「意地でも使わない」とまで言い切った。そこまでいったら2人の関係が微妙になるのも仕方がない。当然、中畑さんのマスコミへの“駒田評”は厳しくなり、それを新聞で目にした駒田さんはどんどん不信感を強めていった。

サヨナラ打の駒田を笑顔で迎える長嶋監督(1993年)
サヨナラ打の駒田を笑顔で迎える長嶋監督(1993年)

 ついには中畑さんが「このままでは大変なことになる」とオフのトレード放出を示唆する発言をし、それをマスコミが大きく取り上げたことで、駒田さんはFA移籍を決断した。その記事が出た翌日、中畑さんは駒田さんを飲みに誘っているが、駒田さんは頑なに拒否。もっと早い段階で互いに話し合い、誤解を解くことができていたら…。駒田さんが巨人を出て行くことはなかったように思う。

 駒田さんは、本紙連載で「駒田担当」となった私に、そんな当時の内幕をいろいろと明かしてくれた。そして「自分の決断に後悔はしていない」と言い切った。それでも「巨人のまま引退できていたらどうだったかなあ…」なんて寂しそうな表情を見せていた。