【女子レスラー名鑑(全日本女子プロレス)】
この人が存在しなければ、後のビューティ・ペアやクラッシュギャルズの熱狂的ブームは絶対に存在し得なかった。女子プロレスに「アイドル」「歌」という概念を持ち込んだパイオニア的存在がマッハ文朱である。
1959年3月熊本県出身。174センチという長身と抜群のルックスを誇った。元々は歌手志望で13歳の時に日本テレビ系「スター誕生!」に出演。決戦大会であの山口百恵とスターの座を争ったのは有名な話だ。運動神経も抜群で、中学時代にはバレーボール部とバスケットボール部の顧問が“争奪戦”を展開したとの逸話も残る。結局、どちらの部にも入らなかったが、早くから高校のバレー部からスカウトされるなど有名な「スポーツ万能少女」だった。
中学では合気道に熱中。卒業時には3段まで昇格。海外から師範として招かれたというから恐れ入る…。実は親戚の影響でプロゴルファーを目指していたが、雑誌の広告を見て15歳で全日本女子プロレスに入門した。
超逸材の登場で全てが変わった。全女の人気は74年夏のマッハデビューと同時に急速に上昇した。何とデビューからわずか8か月目、75年3月にはジャンボ宮本から16歳0か月で“赤いベルト”WWWAシングル王座を奪取。この記録は全女解散まで破られず、永遠に残る金字塔となった。
さらに同年4月には赤城マリ子とのタッグでWWWA世界タッグ王座を獲得。名実ともに全女の看板選手となった。同時に歌手としても活躍。75年3月には「花を咲かそう」で歌手デビュー。従来にはなかった試合前にリング上で歌うスタイルを確立させ、ファン層を若い女子中心に変換させてしまった。現役時代のシングルは2枚のみだったが「花を――」は40万枚のヒットを記録。女子プロ界に革命を起こし大ブームを巻き起こした。
若くして頂点を極めてしまったためか、76年にわずか2年8か月のキャリアで引退。芸能界へ転身して現在も活躍を続ける。活動期間こそ短かったが、その後に起きるビューティ、クラッシュら空前の女子プロブームの礎を築いた歴史的功労者だった。(敬称略)













