【女子レスラー名鑑(ジャパン女子→JWP)】 1990年代に屈指のアイドルレスラーとして人気を集めたのが、キューティー鈴木だ。強さはなかったが、卓越したルックスで相手の攻撃に耐える姿は男性ファンをトリコにした。

尾崎のコブラツイストに苦悶の表情を浮かべるキューティー。やられっぷりのよさが人気を呼んだ
尾崎のコブラツイストに苦悶の表情を浮かべるキューティー。やられっぷりのよさが人気を呼んだ

 1969年10月22日埼玉・川口市出身。中学卒業後に全日本女子プロレスのテストを受けるも不合格。高校卒業後の86年3月、尾崎魔弓(現OZアカデミー)と旗揚げしたばかりのジャパン女子のテストに合格し、同年9月19日徳島のプラム麻里子戦でデビューした。

 当時は尾崎との抗争(というより一方的にいじめられる)が人気を呼び、注目を浴びた。89年に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演すると人気が爆発。週刊誌でも表紙になり、テレビ、グラビアと次から次へと芸能の仕事が舞い込んだ。引退するまで出版した写真集は14冊にも及んだが、当時の月給は10万円にも満たなかったという。

 ジャパン女子は放漫経営がたたって92年に崩壊。JWPとLLPWに分かれ、キューティーはJWPを選択した。「人数が少ない分、責任感ができた。ジャパンの時は広告塔という気持ちでしたが、JWPでは自分の中でも『私がやらなくちゃ』という気持ちになった。プロレスラーとして自覚と責任感が出てきたと思います」と数年前に語っている。

 JWPでは弱々しいキャラから一転して実力も兼ね備えた「団体の顔」にまで成長を遂げた。93年には空前の女子プロ対抗戦ブームが訪れ、94年には米WCWに遠征して尾崎と組み、ブル中野、北斗晶組と対戦した。「私は積極的に対抗戦に出場してはいなかったのですが、とてもいい時代だったと思う」と述懐する。

 この時期から団体内でトップだったダイナマイト関西やデビル雅美に標的を定める。シングル王座には手が届かなかったが、パートナーを変えつつもJWP認定タッグ王座を5度獲得した。

 念願だった20代での引退を申し出るも、97年8月15日広島で盟友のプラムが試合中の事故で急逝。会社のために引退を先延ばしにする。結局29歳の98年12月27日後楽園で引退。引退後は芸能活動を経て2005年5月に結婚。現在は2人の男の子の母親として幸せな生活を送る。“元祖アイドルレスラー”は、記録より記憶に長く残る華やかな選手だった。(敬称略)