【女子レスラー名鑑(全日本女子プロレス→フリー)】 1980年代にクラッシュギャルズとの抗争で、日本全国を熱狂させ“極悪女王”の異名をとり、史上最凶のヒールと呼ばれたのがダンプ松本だ。

 1960年11月11日、埼玉・熊谷市出身。中学のころからビューティ・ぺアに心酔し、女子プロレスラーを志す。最愛の母親に家を建ててやりたいという夢と同時に、放蕩を繰り返し母親に苦労をかける父親を「殺したい」という壮絶な理由もあった。クラッシュとは同期で営業担当などを経て80年8月8日田園コロシアムでデビュー。当時は個性に欠けた一選手だったと本人は振り返る。

 実際の性格は温和で先輩たちの壮絶ないじめに遭ったエピソードは有名だ。不遇の時代が続くも、83年にヒール転向。84年に本名の松本香からダンプ松本に改名して金髪とどぎついメークを施してクレーン・ユウと「極悪同盟」(後にブル中野も加入)を結成するや一気にブレークする。

 凶器攻撃や反則などなんでもありの極悪ファイトでクラッシュと壮絶な抗争を展開してファンからは「日本で一番殺したい人間」とまで呼ばれた。実際、空き巣に入られたり、暴漢に刺されそうになったり、実家にクラッシュファンが押しかけたりと命の危険を感じたことは何度もあったという。

 特にカリスマ的人気を誇った長与千種との伝説の髪切りマッチ(85年8月大阪)で長与を坊主にすると、会場は暴動状態に。極悪同盟のバスを500~600人のファンが取り囲んで揺らすという騒動にまで発展した。ダンプは「警備員にまで殴られるし、あの時は本当に殺されると思った」と述懐する。

 86年にはブルとのコンビで米国WWF(現WWE)に参戦。ニューヨークのMS・Gにも登場するなどトップヒールとして日米で活躍したが、会社側との人間関係が原因で88年1月、会社側に無断で引退を電撃表明。2月22日大田区総合体育館で同期の大森ゆかりと組んでクラッシュと「引退特別試合」を行い、延長戦では長与とコンビを組むサプライズもあった。同年2月28日、地元の埼玉・熊谷で弟子のブル、コンドル斎藤との変則マッチがラストファイトとなった。

 引退後は芸能界で活躍したが、2003年、会社側になかばダマされるような要請により現役復帰。全女で「極悪同盟」を復活させて、他団体にも進出した。06年から自主興行「極悪血祭り」を開催して現在に至る。15年5月23日大田区ではTARUと組んで大仁田厚、長与を相手に史上初の男女混合電流爆破タッグデスマッチにも挑んだ。

 20年には史上初の「還暦現役女子レスラー」となり、62歳の現在も大暴れを続けており「グレート小鹿(大日本プロレス会長=80)の年齢を超えるまで現役を続けるぜ!」とますます意気盛んだ。
 (敬称略)