【女子レスラー名鑑(全日本女子プロレス)】1980年代のクラッシュギャルズ大ブームも、この人たちの存在がなかったらありえなかっただろう。「歌って戦うアイドルコンビ」の先駆者として70年代に一時代を築き上げ、全国の女子中高生から圧倒的な支持を集めたのがマキ上田、ジャッキー佐藤のビューティ・ペアだ。

ジャッキー(右)とマキのコンビは無敵を誇った
ジャッキー(右)とマキのコンビは無敵を誇った

 2人は76年2月24日からビューティ・ぺアを名乗り、その日に行われたWWWA世界タッグ王座戦でマッハ文朱、赤城マリ子組から王座を奪取する。歌って戦うアイドルレスラーとして全国区的人気を得ていたマッハが76年春に引退すると、全女はこの2人に会社の命運をかけることになる。

 人気が定着するまではやや時間を要したが、11月に「かけめぐる青春」でレコードデビューすると、80万枚を売り上げる大ヒットに。同時に全国の女子中高生を中心に一大ブームを巻き起こし、悪役チームのブラック・ぺア(池下ユミ、阿蘇しのぶ)らとの抗争で人気を呼んだ。

 76年6月にはマキがジャンボ宮本からWWWA世界シングル王座を初奪取。77年11月には全女初の日本武道館大会が実現し、メインではマキのWWWAシングル王座にジャッキーが挑む同門対決が実現。激闘の末、60分時間切れ引き分けとなるも判定でジャッキーが王座奪取。エースとして君臨することになる。

 その後もヒット曲を連発して選手層も厚くなるのだが、人気に陰りが見え始めた79年2月、3度目の武道館大会でジャッキーのWWWA王座にマキが挑戦。この試合は「敗者引退」という過酷なルールで行われ、実に48分7秒の激闘の末、ジャッキーが勝利。マキは現役を退き、わずか2年で名コンビは終えんを迎えた。

 ジャッキーも新たな世代の台頭により、81年5月に一度引退。86年8月には新団体ジャパン女子で復帰するも、87年7月に神取忍との壮絶なケンカマッチに敗れ、翌年3月に引退した。その後はスポーツ指導で活躍したが99年8月に胃がんのため、41歳の若さで惜しくも亡くなった。

 一方のマキは引退後、芸能活動を経て飲食業に転身。現在は浅草の釜めし屋の女将として店を支える。最近では「令和のビューティ・ペアを目指す」と公言するスターダムの中野たむとなつぽいに、本紙紙上で貴重なアドバイスを送っている。

 マッハという先駆者はいたが、ビューティ・ペアは歌って戦うコンビとして、間違いなく女子プロ史に残るパイオニア的存在だった。 (敬称略)