【長嶋清幸 ゼロの勝負師(25)】1994年から4年間在籍した阪神では徐々に出場機会も減り、引き際を考えるようになった。今まで自分が経験したこと、財産をどれだけ若い選手に見せ、伝えていけるか。そういうところで意識改革してくれたらいいなって。話を聞きに来てくれたらうれしいし、伸び悩んでいる選手がいたら声をかけたり。二軍首脳陣からも「経験を教えてあげてくれ」と言われていたんでね。
97年の自主トレではボールを10メートルも投げられなかった。これはダメだわって思うよね。プロ入りしたころ、打って走って守れなかったら野球選手は引退だと思っていた。しばらくは投げにくくても急に投げれるようになったりしていたから、今回もいけるかと思ったけど、キャンプでも全然ダメ。現実を受け止めないといけないし、別メニューになる。コーチに「打つだけでええから」と言われても…。ゴールデン・グラブ賞を4回も取ったのにね。
それで夏場に二軍にいた時、自分から球団に「今年で…」と話しに行った。向こうも話そうとしていたらしい。残りの選手生活、やるべきことをしっかりやろうと思った。「ベテランって辞める時はこんなもんか」と思われないよう、最後まで若い選手に背中を見せようと。二軍生活が続いていた亀山努にも「腐っている姿を見せたって何にもならん。二軍にいてもお前の最初を思い出せ。ヘッドスライディングだろ。その気持ちを後輩に見せなきゃダメだぞ」って。彼もその年で引退だったんだけど、最後はすごく一生懸命だったね。
俺は球団に残らせてもらえるなんてこれっぽっちも思っていなかった。生え抜きが強いし、外様がコーチで残れるなんて考えられない。それが最後に吉田義男監督から呼ばれて「お前、コーチやれへんか。コーチやれやあ」って。俺でいいんかって思った。地元静岡に帰って何か仕事探せばいいかと思っていたから。
しかも引退試合までやってもらった。阪神で4年しかプレーしていないのに、なんで外様の俺にここまでやってくれるのか。後で聞いたら、広島の松田耕平オーナーがオーナー会議で阪神の常務取締役だった野崎勝義さんに会った時「長嶋おるやろ。あれ、かわいがっとったんや。面倒見たってくれ」と頼んでくれたと…。俺は2003年まで阪神にお世話になって中日に行くんだけど、野崎さんから後で聞いた話では、落合博満さんからコーチに呼ばれなかったら、ずっと残れていたらしい。松田オーナーから直々に言われ、それくらいずっと面倒見ようと思ってくれていた。本当にありがたいし、感謝しかない。
18年間現役を続け、まだユニホームを着続けられる。俺って自分から就職活動したことないもんね(笑い)。98年から一軍打撃コーチ補佐。適材適所で理路整然と、わかりやすく伝えていこうと思った。打撃コーチはあの“世界の盗塁王”で…。
☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。











