【中島輝士 怪物テルシー物語(76)】私は1998年に近鉄を最後に現役を引退しコーチ、スカウトという道を歩いてきました。近鉄消滅後にはドラフト1位で獲得してくれた古巣の日本ハムでスカウト、コーチとして在籍していました。2009年からコーチになりユニホーム組に復帰したわけですが、ボタンのかけ違いと言いますか、いろんな事情も重なって1年で退団という形になってしまいます。
翌10年シーズンはゆっくりさせてもらっていましたが、とある仲間から一報が入りました。その連絡の主は荒井幸雄でした。彼は神奈川県出身で横浜商高から社会人の日本石油(現ENEOS)に進み84年のロサンゼルス五輪では日本代表の4番を務め、金メダル獲得に貢献しています。
その後、荒井は86年ドラフトでヤクルトから2位指名を受けて入団。1年目の87年は打率3割1厘(リーグ10位)で新人王を獲得しています。1番・中堅で出場することが多かったリードオフマンです。ニックネームは「チュー」。昭和世代の方々なら分かると思うんですが、コメディアンで元ザ・ドリフターズの荒井注さんと同姓なのでこのあだ名がつきました。
彼とは社会人時代から交流があり、近鉄では現役選手同士として、日本ハムではコーチとして一緒に仕事をした仲間です。もう40年の付き合いになります。今はENEOSで特別コーチを務めています。
その荒井が台湾で指導者を探している先輩がいるということで連絡をもらいました。その人物は荒井のヤクルト時代の先輩にあたる中本茂樹さんでした。中本さんは82年オフにドラフト外でヤクルトに入団。先発、中継ぎ、抑えとして活躍されプロ10年で309試合に登板し21勝、23セーブを挙げています。
92年に現役を引退されてからは台湾プロ野球の俊国ベアーズや統一ライオンズ、誠泰コブラズで投手コーチを歴任されていました。その後、帰国して巨人のアジア担当スカウトをされていたタイミングで、私に声をかけてくれたという流れです。
中本さんとも不思議なご縁がありました。中本さんは徳島商高から同志社大に進学し78年、関西学生野球秋季リーグ戦でエースとして優勝されています。同年の明治神宮大会にも出場され、岡田彰布さんがいた早大を破るなど優勝投手となられました。そしてなんと、私は同じ大会の高校生の部で柳川高のエースとして優勝しているんです。
さらに、同志社と柳川が一緒に大学、高校日本代表として台湾遠征に行っているという、もう40年以上も前の話になるわけですが、いろいろなご縁がつながって新たな経験をさせてもらうことになります。本当に長年にわたる野球人生ですが、今度は台湾が自分自身のフィールドとなるわけです。
アマチュア時代に国際大会で何度も対戦した台湾。台湾は野球熱も高く親日国でもあります。かつて台湾代表チームと対戦していた88年ソウル五輪の4番打者・中島輝士を覚えてくれている人も多くいてくれて、本当にありがたかったですね。












