【中島輝士 怪物テルシー物語(6)】高校2年の福岡県秋季大会、九州大会にかけて私は投手として最高潮の時期を迎えていました。福岡県南部大会では6試合を勝ち抜き優勝し、南福岡県代表として出場した九州大会も3試合を投げ抜き28イニングで1失点という成績で優勝投手となっています。

07年の高校生ドラフトで巨人から1位指名を受けた藤村大介
07年の高校生ドラフトで巨人から1位指名を受けた藤村大介

 九州大会の準々決勝では九州学院(熊本第1代表)との対戦となりました。試合は先頭打者の藤村くんの三塁前へのバントヒット以降、全て抑えて延長10回を1―0の1安打完封サヨナラ勝利で終えました。サヨナラ安打を記録したのは左翼で5番の谷口くんでした。ただ、この試合で私から唯一の安打を記録した藤村くんの息子さんが、時を経て後の野球ファンの記憶に残る存在となっているので紹介しておきます。

 熊本工高から2007年高校生ドラフトで巨人から1巡目指名された藤村大介内野手。引退後は巨人でコーチも経験した人物です。お父さん譲りの俊足で11年には28盗塁で盗塁王にも輝いています。愛称はバンダイナムコから発売された野球ゲームシリーズの超俊足キャラにちなんで「ピノ」だとか、「ピノ村」と呼ばれていたらしいですね。

 私の高校時代の対戦相手からこうして時代を経てプロ野球選手が生まれるんですからね。こういった事実も不思議なご縁だといえます。

 そして、九州学院といえば私と投げ合った左腕・園川一美投手も後のプロ野球選手です。高校卒業後に日体大を経て1985年ドラフト2位でロッテに入団。実働14シーズンで76勝を挙げた好投手でした。

 準決勝では諫早高(長崎代表)に5―0の完封勝利。そして決勝では鹿児島商工高(鹿児島代表)を相手に8―1で完投勝利です。この試合、私は4番投手として出場し3打数2安打2打点。投げては被安打3、8奪三振で相手の3番・中堅・玄岡くんのソロによる1失点のみに抑えることができました。

 秋季大会は暑い夏を経てやや涼しい時期での開催でもあり、体調を整えやすかったんでしょうか。自身の調子も良く来る日も来る日も投げ続ける毎日でしたが、相手打線を抑えることができました。でも、実はこの時期に私が力を発揮できたのは他に理由がありました。

 秋季大会に入る直前の79年10月27日、私は父を44歳で亡くしています。この連載の第1回で紹介しました、小学校時代に神社でずっとキャッチボールに付き合ってくれた父ですね。父が亡くなり、福岡の寮から自宅に戻って少し休んだ記憶があります。17歳の時ですからね。福岡県南部大会、九州大会で大活躍できたのは、父が見守ってくれてたのかなと思っています。不思議な力がね、出てましたね。

 その活躍を現場で見てもらえなかったことは、おそらく父が一番、残念に思ってくれてるんじゃないでしょうか。地区大会での大活躍も次の春に行われる甲子園の選抜大会も父には見てもらえてませんからね。翌年の4月に行われた春の選抜、甲子園の舞台で父から買ってもらったグラブに名前を書いて臨みました。父の名前は「仁」と書いて「まさし」と読みます。