【中島輝士 怪物テルシー物語(5)】福岡・柳川高1年の秋、新チームとなってからは私が主戦投手としてほぼ全試合に投げさせてもらうようになりました。福岡県南部地区秋季大会で優勝、秋の神宮大会高校生の部でも優勝投手となり、全国から注目を集める存在となっていきました。一方、その後に行われた九州大会では1回戦で鹿児島実業にコールド負けという屈辱も経験しています。
1年生だった1978年、夏の県予選ではベンチ入りはさせてもらいました。先輩たちは福岡県大会決勝で東筑に0―1で敗れ甲子園を逃しています。そして新チームとなり私が主戦投手となって迎えた秋季大会では優勝するも、九州大会で敗退してしまい2年春の選抜には出場ならず。79年の2年夏の大会では、福岡県南部予選の1、2回戦をコールド勝ちで発進するも3回戦で東海大五高に3―4で敗れ、甲子園の道は断たれてしまいます。
1年生の秋から注目を浴びていた私は周囲の期待に応えられないギャップに苦しんでいました。そんな中、2年の秋にゾーンに入ると言いますか、好調な時期を迎えることになります。
福岡県大会、九州大会で合計9試合に登板し5失点、5完封、100奪三振、ノーヒットノーラン2回という結果を残すことができました。福岡県南部準々決勝で修猷館高に3点取られた以降は、九州大会決勝の鹿児島商工高戦で1点を取られただけでしたね。
その1点は後に80年ドラフト外でヤクルトに入団する玄岡正充くんから打たれたソロホームランでした。鹿児島県与論島出身の左の外野手でしたね。身長168センチと小柄ですが、4年目の84年には主に2番・中堅として起用され自己最多の81試合に出場し、打率2割9分3厘という好成績を残しています。
ちなみに私も鹿児島商工高戦では本塁打を記録しています。それもランニングホームランでした。外野からの送球が中継プレーになり、太陽とボールが重なってプレーが乱れる間にランニングホームランです。こうして話をしているとこういった細かい場面を思い出しますね。
福岡県南部準決勝では九州産高と対戦し1―0、14奪三振でノーヒットノーラン。同決勝は福岡工高と対戦し初回に6点を奪うなどの猛攻で11―0の完封勝利で優勝を決めました。11月11日から13日の期間、熊本県で行われた九州大会でも私の好調は続きました。準々決勝では九州学院と対戦し、延長10回を戦い1―0のサヨナラ勝利で私は完封勝利です。
この試合では九州学院の先頭打者・藤村寿成くんに三塁前にバントヒットを決められたんですが、この1安打での完封勝利です。この藤村くんは同い年なんですが、足がめっぽう速いとは聞いてはいましたが、どんなもんかと思っていたら本当にめちゃくちゃ速かったですね。この足の速さはしっかり、藤村くんの息子にも遺伝してますからね。
次回は私の高校2年時の秋季九州大会の続きを話しつつ、藤村くんの息子さんの存在にも触れてみたいと思います。












