【藤田太陽連載コラム】逆指名の決め手は佐野スカウトの熱意

2021年01月05日 11時00分

佐野スカウト(右)の熱意に心を動かされ阪神入団を決めた

【藤田太陽「ライジング・サン」(1)】まだ仙台に楽天がなかった時代だ。テレビ中継ではほぼ、巨人戦しか放送されない東北・秋田に生まれ育った野球少年だった。自身も周囲も大の巨人ファン。にもかかわらず、藤田太陽氏(41=社会人野球・ロキテクノ富山監督)が逆指名したのは阪神タイガースだった。その決断の真意、苦労の連続だった野球人生をクローズアップする。

 当時は周囲から「なぜ?」「どうして?」と何度も聞かれました。僕としては、いくつか理由がありました。でも、決め手となったのは何かというと、スカウトの佐野(仙好氏、当時の関東地区担当スカウト)さんの熱意ですね。これが本当に大きかったです。

 秋田の野球では無名の新屋高校から社会人の名門・川崎製鉄千葉に入って、ドラフトされる3年目は調子がいい時も悪い時も波がありました。でも、佐野さんはずっと同じ距離感で見守ってくれました。評価や態度を変えることなく「君が欲しいんだ」という口説きを一貫して、してくれました。その姿勢でずっと接し続けてくれましたね。

 ジャイアンツにもお誘いをいただいていたのは事実です。秋田県出身の身としては小学、中学、高校って野球を見たらジャイアンツしかテレビに映っていない。父ももちろんジャイアンツファンでした。普通なら僕が行くのは当然、巨人って思っちゃいますよね。

 でも、いざ職業として野球を選ぶ立場になって、職場環境を考えると少し不安にもなりました。当時の巨人はFAや逆指名で毎年毎年、数々のスーパースターが加入してくるチームでした。果たして僕が入団しても、試合に出られるチャンスがある環境なのか。入って3年でクビになってしまうようなリスクもあるのが巨人かなと考えていましたね。それは鮮明に覚えています。

 同じドラフトでは阿部慎之助さん(現巨人二軍監督)が逆指名1位で巨人入りしました。当時その阿部さんとはオールジャパンでチームメートでした。

 で、その当時の僕の阪神へのイメージはというと「ファンがにぎやかやなあ」みたいな印象ぐらいしかなかったんですよ。でも、タテジマのユニホームが大好きでした。甲子園のカクテル光線に照らされる、選手の姿がすごくカッコよかった。

 社会人になって初めて、関西遠征に帯同した時でした。おそらくサンテレビ(神戸の地方局)だったかな? 何げなくスイッチを入れて、テレビ中継を見ていたときに、関西ではこんなに普段から阪神の試合を放送してるんだと思った印象があります。

 阪神電車の梅田駅で降りても壁のポスターは阪神、阪神。こんなにも街中に阪神があるんだと驚きました。日本代表チームで投手コーチだった野村収さんが阪神OBというのも、今となってはご縁ですね。

 当時、甲子園九番町に「トンチンカン」というお店があったんですよ。実際に阪神の選手も集まるお店でした。僕はまだアマチュア時代で、先輩と食事をしていると、そこの店主のお母さんから「あんた阪神おいでや。ほんでな、いの一番に報告においでよ」と言われたのを覚えてます。

 それで、本当に阪神に入団して「トンチンカン」にちゃんと行ったんですよ。でも、それが阪神入りの決め手というのではもちろんないんですけどね。

 ただ今思えば、事あるごとに阪神にご縁がありました。母が秋田でスナックを経営していたんですが、そこのお客さんの常連には阪神ファンが多かったんです。東北にも隠れ阪神ファンがいまして、連日、お店が阪神ファンでいっぱいでした。

 ただ、一番の決め手は変わらぬ姿勢でずっと接してくれ、自分のことを長い目で見てくれるのは阪神だと感じたからです。社会人からの逆指名入団とあって即戦力でなければいけないのですが、実は僕には長い目で見てもらいたい事情もありました。近い将来、自分に起こるであろうトラブルが…。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

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