なぜ?オレ流が超爆発 星野監督を痛烈批判の衝撃

2020年05月04日 11時00分

1986年の中日入団会見に臨んだ落合。左は星野監督

【球界平成裏面史(17):中日・落合舌禍事件(1)】長野県下伊那郡・昼神温泉。この地を舞台に発生したのが“落合舌禍事件”だった。時は平成になって間もない1989年1月17日。中日・落合博満内野手の自主トレ初日に、事は起きた。

 トレーニング終了後、報道陣に対してまず落合は「自主トレは一人の方が楽。これが合同自主トレだったら、最初から散歩なんてできないだろう。絶対、走らなければならないもんな。要するに昔(ロッテ時代)に戻ったってことだ。オレ流? まぁ、そういえるでしょうね」と今回の単独自主トレの意義を説明。中日移籍3年目のシーズンに向けて“オレ流”全開を宣言した形でもあった。

 その流れで飛び出したのが、次からの発言だ。「(ベスト体重より)1キロオーバーについて罰金10万円なんだって…。なんでかね。球団社長が罰金取るならわかるけど、取るのはトレーニングコーチでしょ。体重計に俺は乗らないよ」。さらに「去年(88年春)みたいに(米国フロリダ州)ベロビーチ(キャンプ)でドジャースのユニホームを着てゲームに出ることはないから、4月の開幕までに何とかすれば、と思っている。キャンプでは18歳から40歳まで同じメニューをこなせって言われたら無理だろう。俺は35歳だから、そういうことだ」とピシャリ。

 まだ終わらない。「昔の選手はこの時期から誰も動かなかった。そんな人間が今になって1月10日ぐらいから“動け、動け”って言ってるんだからねぇ。昔、やってなかった人ほど、指導者になったら、そういうことを言っている」とまで口にした。

 これには報道陣がざわついた。落合は名前こそ出さなかったが、その誰もがこの発言を超過激な星野仙一監督への批判と受け取った。86年オフの中日移籍会見では闘将について「男が男にほれた」とコメントしたオレ流だが、時間経過とともにボタンの掛け違いが目立ちはじめ、2人の不仲説も噂されていた。それが、ついに、と言ってもいい状況だったのだから無理はない。その場には一気に緊迫ムードが漂い、各スポーツ紙は、その対応に大わらわとなった。

 記者は当時、入社4年目になろうかという時期の、まだまだ駆け出しの若手。他社のベテラン記者たちが、その場で執筆作業に入っているなか「これは大変なことになった」と焦りまくったのを覚えている。他社が1面でいきそうなのはわかった。では、東スポとしては何を…。東京の鬼デスクの顔が脳裏に浮かんだ。「どうしようか…」。落合が宿泊しているホテルのロビーで思案しているときに、目の前に、何とそのオレ流が現れた。

 まさか、再び出てくるとは思ってもいなかったので、質問の準備が全くできていなかった。そのため、何とも情けないことに記者は直前まで思っていたことをストレートに口走ってしまった。「落合さん、どうするんですか。各社1面で大きく報道しますよ。うちは夕刊紙ですから、朝刊紙と同じことは書けないんです。でも、あれだけ、みんなの前で言われたら、さらに何を書けっていうんですか」

 すると落合は笑みを浮かべながら「お前は、俺が言ったままを、そのままを書けばいいじゃないか。それでいいんだよ」。妙に穏やかな、優しい表情だった。ちなみに翌日の本紙は“そのまま”を載せたうえで結局「落合 星野批判」という内容になった。そしてこの騒動は、さらに拡大していった。(続く)

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