【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(3)】気になる野球人を追跡調査する当コーナー、第3弾はかつてダルビッシュ有(現レンジャーズ)とともに東北高校を甲子園準優勝に導き「最強の2番手投手」と呼ばれたあの人です。右サイドハンドから最速146キロの直球とトレードマークの眼鏡でも親しまれた真壁賢守さん(29)。現在、社会人野球のホンダで投手コーチ兼マネジャーを務めている「メガネッシュ」を直撃した。

「こっちは全力でやってるのに、あいつはいつも2割ぐらいの力で投げていた。次元が違いすぎるというか、ライバルという感じは全然なかったですね」

 真壁さんは初めてダルビッシュに会ったときの印象をそう語る。中学時代から注目を集めるモデル体形のイケメンと、眼鏡をかけた純朴な高校生。対照的な2人はその後、東北高校のダブルエースとして成長していく。

 転機が訪れたのは2003年の2年夏。若生監督からサイドスロー転向を言い渡された。

「忘れもしない、甲子園1か月前の7月1日です。自分としても一応本格派のプライドは持ってたので、本当に嫌でしたね。監督への恨みつらみを寮の二段ベッドに書き殴ったりして。まだ残ってると思いますよ。『俺の野球人生をめちゃくちゃにしやがって!』とか、ここでは言えないようなことも(笑い)」

 その後、福岡・筑陽学園との1回戦で甲子園初登板。準々決勝、準決勝にも登板し、甲子園準優勝に大きく貢献すると「メガネッシュ」などの愛称で大人気を博した。

「日本代表にも選ばれて、遠征を終えて帰ると寮にはファンレターの山。500通くらいあったんじゃないですか。それまでは一通ももらったことがなくて、有がもらったのを回し読みしてただけなのに」

 翌年のセンバツでも大車輪の働きで、東北高校は準々決勝まで駒を進める。相手は愛媛・済美だ。「これまでの人生のベストピッチだった」と振り返るその試合に先発。6―4とリードのまま9回裏二死一、二塁の場面を迎える。3番高橋を2球で追い込み、勝利まであと1ストライクで2球続いてのファウル、そして投じた158球目。左翼を守る親友の頭上を越え、打球はスタンドに飛び込んでいった。

「スタンドで跳ねるまでは映像が残ってるんですが、その後は何も覚えてない。無音のなか、有にただひと言『ごめんな』と声をかけられた」

「まさかの東北!」と実況が伝えるなか、真壁はマウンドに崩れ落ちた。

 東北福祉大での4年間は「自分の弱い部分、ダメな部分が全部露呈した、逆に貴重な4年間」だったという。

「『ダルビッシュの後ろの真壁』ではなく『真壁』が先に来るようになってしまった。みんなが思ってる真壁じゃなきゃいけない。それが嫌で『俺は全然本気出してないから』とか言ったりして。本気で辞めようと思ったし、辞めるなら野球を嫌いになる前に辞めたかった」

 それでも続けてきたのは、プロで活躍する友の存在があったからだ。

「周囲からはいろいろ言われますけど、(ダルビッシュと)別の高校に行ったからといってエースにはなってないと思いますよ。むしろあいつの2番手ということに誇りを持ってましたから。あいつがいなければ今の自分はなかったですね」

 大学卒業後、入社したホンダで25歳のときに現役を引退。投手コーチ兼マネジャー4年目の昨年は、教え子から阿部寿樹(中日)、石橋良太(楽天)、仲尾次オスカル(広島)の3人がプロ入りを果たした。

「まだ4年目ですが、今までやってきたことが形になった、ある意味集大成のような年。主軸がプロに巣立っていって、また新人が入るのでガラッと変わる。僕としては楽しみです」

 かつての親友とは、いまだに連絡を取り合い、食事にも行くという。

「有にとっての自分の存在?(いてもいなくても)関係なかったんじゃないですか(笑い)。そもそも、誰かのおかげでここまで来たとか思ってるようなやつじゃない。それがあいつの一番の才能ですから」

“最強の2番手”は、そう言って眼鏡の奥の瞳を細めた。

 ☆まかべ・けんじ 1986年5月3日生まれ。宮城県村田町出身。右投げ右打ち。小学校4年生から軟式野球クラブに所属。村田第一中ではエースとして全国中学校軟式野球大会に出場。東北高校に進学後はサイドスローに転向。エースのダルビッシュを支え、2年夏の準優勝に貢献した。夏春合わせて3度の甲子園出場。東北福祉大ではリーグ通算7勝0敗、防御率1.83の成績を残すも故障に苦しむ。その後は社会人野球のホンダに進み、2011年に25歳で現役を引退。現在は投手コーチ兼マネジャーとして後進の育成にあたる。