【中島輝士 怪物テルシー物語(9)】新3年生として出場した1980年春のセンバツ高校野球大会。私は九州の怪物「テルシー」の愛称で注目してもらい、甲子園の舞台で初めてマウンドに立つことができました。ただ、私にとって高校球児として甲子園の土を踏むのはこれが唯一の機会となりました。自分ではもっとできたんではないかと、今でも思ってしまいます。

 1回戦で東東京代表の二松学舎に3―1で勝利し、2回戦で兵庫代表の尼崎北に1―3で敗退。短すぎる聖地での晴れ舞台となってしまいました。この大会には後にプロ野球選手になる球児もたくさん出場していました。優勝した高知商の中西清起は皆さんご存じでしょう。その後、社会人野球のリッカーを経て阪神に入団した右腕です。阪神では引退後に投手コーチとして指導に当たっていましたね。

 準優勝した帝京の2年生エースには後に本田技研に進み、ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得、85年ドラフト1位でヤクルト入りした伊東昭光がいましたね。秋田商の高山郁夫(西武)や兵庫・滝川の石本貴昭(近鉄)ら各球団の主力になるような選手が多く出場していました。

 そんな中で自分は注目されながら活躍することができなかった。おごりがあったのか、もっと真剣に取り組まないといけなかったのか。いや、練習はものすごくしていたと思ってはいるんですが、甘えもあったのかもしれません。今思えば、この大会に合わせて逆算して調整するという能力が足りなかったのではないかと理解しています。

 センバツが終わった後は推薦枠で春の九州大会に出場しています。準々決勝で別府商に4―0で完封勝利。準決勝では九州学院を相手に3―0の完封勝利。そして迎えた決勝は八代と対戦し、8―0の完封で優勝することができました。この九州大会は沖縄県で開催されたのですが、決勝戦の当日、初回に柳川が1点を先行し、その裏に雨天のためノーゲームとなりました。 

 結局、日程消化ができず福岡県で仕切り直しの決勝戦を行いました。私は4番・投手として出場し4打数2安打、投げては5安打完封です。この試合、決勝で投げ合ったのは秋山幸二投手でした。西武、ダイエーでプレーし2157安打、437本塁打、1312打点という成績を残したあの秋山です。ソフトバンクの監督として日本一も経験し野球殿堂入りも果たした選手です。

 その秋山は大学進学希望を表明し80年秋のドラフト会議では12球団が指名回避。ですが、ドラフト会議後に巨人、阪急、広島との争奪戦を西武が制しドラフト外で野手として一本釣りで獲得し、そののちの成長につながっていったわけです。

 私がのちにプロ入りした後、秋山のバットを譲り受けて使ってみましたが試合では使えませんでした。バッティング練習で打つことは可能なんですが、試合でプロの一軍投手を相手に自在に扱えるかというと無理でしたね。34・5インチ(約87・6センチ)の長くて重いバットです。あれを軽々と操って打つんだから、秋山は本当にすごい打者だなと思いましたね。