【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(38)】1992年1月4日東京ドーム大会のメインで、IWGPヘビー級王者として、グレーテスト18クラブ王座を保持していた長州力とダブルタイトル戦で対戦した。リキラリアート3連発で敗れると、同月末からの長期欠場を自ら申し入れた。

ガッツ石松(右)とミット打ち(92年7月)
ガッツ石松(右)とミット打ち(92年7月)

 責任感とでもいうのか、レスラーはチャンピオンベルトを外してしまうと何か気持ちの糸が切れてしまうようなことがある。40歳を目前に控えこれからの自分に迷いもあって、心ここにあらずのような状態になってしまった。若い選手が育ってきていた部分もあったので、わがままを言って休ませてもらった。

 復帰戦となった7月8日の横浜文化体育館大会。人生で初めての異種格闘技戦に臨んだ。これまでは見向きもしなかったんだけど、当時は何か刺激を求めて、ボクシングの帝拳ジムで練習をしたりしていたんだ。そうすると不思議なもので、どんどん「新しいことに挑戦したい」という気持ちが芽生えた。復帰にあたって注目を集めたいという思いもあって、どうなるか1回やってみたいなと思うようになった。

 試合が決まると、元WBC世界ライト級王者のガッツ石松さんにトレーナーとして付いてもらい、1か月以上ハードな練習を積んだ。やるからには付け焼き刃じゃいけない。本気で取り組んだけど、女性マネジャーの長野ハルさんが厳しくてね…休憩で座ろうとしたら怒られたり、よく叱られたものだった(苦笑)。でも練習のおかげで腰の悪さを忘れるくらいコンディションは良く、体重も10キロくらい絞れた。

 対戦相手のリチャード・バーンはテコンドー王者という触れ込みだった。試合は3分10ラウンド(R)で行われ、最初は素手でリングに上がっていたものの、2Rにパンチを放った際、バーンが素手の顔面打ちは「ルール違反だ」と主張したことで、3Rからグローブを着けて試合をすることになった。

 グローブを着けてからは帝拳ジムでやってた練習の成果が垣間見えたかなという気もするけど、でもやっぱり短期間じゃ無理だね。プロレスとボクシングはスタンスも違うし、ステップも違う。どうしても普段から体に染みついた動き方になってしまう。あと見た目以上にグローブも重いんだよ…。ボクサーはよくあれを着けて12Rも戦えるなと思う。

 最終的に5Rにヒザ十字固めでギブアップを奪い勝利を収めた。復帰するにあたって、自分の中でくすぶっていたものに火をつけるという意味ではいいキッカケだったんじゃないかな。一方でプロレスの魅力にも改めて気付かされた部分もあったし、俺にはプロレスで燃えてほしいというファンの声も肌で感じて、以降は異種格闘技戦を行っていない。