【昭和~平成スター列伝】前々回では国際プロレスの金網タッグデスマッチ(1972年11月、名古屋)で行われた日本初の金網タッグデスマッチで起きた「暴動騒ぎ」について触れたが“主役”となった“生傷男”ディック・ザ・ブルーザーと“ぶっ壊し屋”クラッシャー・リソワスキーのコンビは、60年代に最強と呼ばれた名コンビだった。殴る、蹴る、凶器攻撃のケンカ殺法で圧巻の強さを発揮して、恐怖の存在とされつつ圧倒的な人気を誇った。必殺技もシンプルだが実に説得力があった。
63年に米AWAで初結成すると同年8月にAWA世界タッグ王座、67年1月にはWWA世界タッグ王座を奪取。シングルでもそれぞれメジャー王座で大物に挑戦、獲得する実力を誇り、米国中を席巻した。コンビとして初来日した69年8月11日札幌ではジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲からインターナショナルタッグ王座を奪取する快挙を達成した。
「馬場、猪木に元AWA世界タッグ王者チームの生傷男ザ・ブルーザー、ぶっ壊し屋クラッシャー・リソワスキーが挑戦したインタータッグ選手権は大荒れ。開始から反則攻撃と荒技の応酬というラフファイトに終始した。1本目は机にぶつけ合って4人が大乱闘の後、猪木がクラッシャーのメリケンサック攻撃を食らってダウン。ブルーザー、クラッシャー交互の“爆弾殺し”アトミックボムズアウェー3連発でノックアウトを奪われ先制された(9分55秒)。2本目は王者組が奮起。クラッシャーに馬場、猪木が連続でコブラツイストを仕掛け、猪木が秘技卍固めでタイに持ち込んだ(7分6秒)。しかし生傷組の反則ラッシュは続き、馬場の16文失敗をチャンスに一気に殺人パンチの猛爆。ブルーザーが馬場を殴り倒してまたもアトミックボムズアウェーを爆発させ決勝フォールを奪った(7分7秒)」(抜粋)
13日大阪のリターンマッチではBI砲が凶器を奪って逆襲。王座奪還に成功するのだが、とにかくブルーザーのアトミック弾、リソワスキーのメリケンサック攻撃は強烈そのもので、ファンに大きな衝撃を与え、その後も多くの名勝負を生んだ。
本紙OBでプロレス評論家の門馬忠雄氏は「俺はブルーザーが一番好きな外国人選手でね。とにかく見るからに米国の腕っぷしの強い荒くれ者という雰囲気がたまらなかった。リソワスキーに比べると、ブルーザーはプロレスがうまくて客の反応を見ながら試合ができた。日本プロレス時代の最強外国人コンビじゃないかな」と述懐している。
2人は70年代後半まで共闘を続けたが“生傷ぶっ壊し屋”コンビは、紛れもなく昭和プロレスを鮮やかに彩った最強のタッグチームだった。 (敬称略)













